メシアニック・ジュー的な理解 ”「万軍の主」は「天の父」であり主イエスの名によって動かれる” | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Marcia O'Connor

 

「メシアニック・ジュー」とは、ユダヤ人としてユダヤ系の家系に生まれて、代々ユダヤ教の伝統を守る生活をしている流れの中で、ある時、新約聖書に記されているナザレのイエスこそがユダヤ人にとってのメシアであるとわかり、新約聖書をよく読むようになり(ユダヤ人は旧約聖書を含むトーラを聖典としており、新約聖書は読みません)、イエスこそがメシアであると信じるようになって、信仰告白をし、水のバプテスマを授けられたユダヤ人を指します。

 

ユダヤ人とは、人種の意味ではなく、ユダヤ教の諸々の取り決めを代々守る家に生まれた人という意味です。人種的には東欧系のアシュケナージなど複数の人種にまたがります。少数ですがインドにもインド系の人種のユダヤ人がいます。

 

そのようなユダヤ教の諸々の取り決めを代々守る家に生まれると、ユダヤ人として生まれたこと、イコール、アブラハムに血筋がつながっている「イスラエルの神に選ばれた民」という自覚。その自覚を持ちながら生きています。自分達は、「イスラエルの神に選ばれた特別な民なのだ」という自覚です。この自覚は強烈であり、圧倒的です。家系を代々辿っていけば、必ず、ヤコブから派生した12部族のいずれかを通じて、ヤコブにつながって行きます。それから、イサクへ行き、最終的にはアブラハムに行き着きます。

 

新約聖書のマタイとルカにはイスラエルの家系図があります。ルカの家系図にはアブラハムよりさらに遡って、アダムに至るまでの血筋が書かれています。そうして、アダムは神の子として記されています。

 

ユダヤ人は、そうしたアダムに連なる家系図を受け継いで生きています。そうして、自分達は「神」につながっている民族なのだという自覚、信仰、信念、伝統を守って生きています。この「神」は、後に御子であるイエスによって「天の父」と紹介される神です。(三位一体の”神”に縛られていると、この辺がうまく理解できません。三位一体から離れないと「唯一のまことの神」ヨハネ17:3 がわかりません)

 

○メシアニック・ジューがラビに尋ねた「万軍の主」の意味

 

そのユダヤ人のうち、イエス・キリストを受け入れた人々が「メシアニック・ジュー」、文字通りの意味は「メシア的であるユダヤ人」。ユダヤ教の伝統を受け継ぎつつ、メシアであるイエスを受け入れた人です。

 

彼らは、ユダヤ教のトーラの教えを、ユダヤ人として読み解くことができる立場にいます。簡単に言えば、旧約聖書をユダヤ人的に読みます。アブラハムの祝福を受け継ぐ、神から選ばれた特別な民として旧約聖書を読み解くことができる立場にいます。

 

ユダヤ教の中で先生に当たる人は「ラビ」。リブログ元の投稿↓では、この「ラビ」に、メシアニック・ジューである引用記事の筆者が、「万軍の主」の意味を尋ねて得られた、驚くべき理解について記しています。実に驚くべき理解です。「万軍の主」の「万軍」とはそういう意味だったのかと。また、その「主」(YHWHの神=新約聖書の天の父)とは、人間の理解をはるかに超えたものすごい御業をなさる方なのだと。

 

以下の投稿は、前半が神の名について記しており、後半で「万軍の主」の意味を解き明かしています。後半は、

 

旧約の神「YHWH」(太文字の「主」)が、新約の「天の父」であるということを、ハッキリと言う人があまりいないので、私の理解は大丈夫なのか?と思うことが時々ありました。

 

という文章の所から始まります。