「自己愛」こそが本当の神から彼/彼女を遠ざける | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

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1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

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女性に多い「自己愛」について書きました。

女性は「自己愛」を手放した時にイエス・キリストにめぐり合う
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12742122891.html

「自己愛」は、もちろん男性にもあります。

簡単に言うと、「自分が神のようになりたい」。
「自分こそがキリスト教の中で神に近づける」。
「自分こそが伝道者だ」。
「自分こそがイエス・キリストを宣べ伝える優れた牧師になれる」。
これらはすべて「自己愛」です。ほぼ全ての人が、この「自己愛」の虜(とりこ)になっています。

神との関係を考える際に、まず「自分が」「自分は」「自分こそが」と考える。
これが「自己愛」です。創世記冒頭で記された、創造主であられる神、新約聖書で御子イエスから「天の父」と紹介された神によって、土から造られた人間だと言う、へり下りがありません。

17世紀のデカルト以降、欧米で自己認識の基本となった「我思う、ゆえに我あり」。これがもたらした自我肥大が、海を渡って明治期の日本にも入ってきて、夏目漱石の問題意識となり、諸々の小説や映画を生み出し、テレビドラマが作成され、1970年代以降の自己を見つめるシンガソングライターの歌詞となり、Mr.Childrenが歌った「自分についてのストーリー」。BUMP OF CHICKENもスガシカオも東京事変も。m-floもcapsuleもPerfumeも。みんな「自分についてのストーリー」を歌っています。

最近、Netflixで公開されたアニメ「バブル」を観ましたが、あれも「近未来の日本の宗教的なフレームの中で、自分がどういう役割を果たせるか」に関するストーリーです。テーマはほんとうの神ではなく「自分」です。

○ルシファーが「自己愛」に囚われていた

このように、自分に関して考える際に、自分が自分のストーリーの主人公となって、まず「自分はどうこう…」と考える。これが「自己愛」です。

そうしてこの「自己愛」を強く持つ人に、寄ってくるのが、「神に敵対する存在」であり「天から落ちた御使い=霊に過ぎない存在」であるサタンです。イスラエルの神であられる天の父と、そのひとり子であるイエス・キリストに反する存在です。

聖書をよく読むと、ルシファー/暁の子/明けの明星(イザヤ14:12)は、高ぶり/プライドによって、天から落とされたことがわかります。

暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』

しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。
あなたを見る者は、あなたを見つめ、あなたを見きわめる。『この者が、地を震わせ、王国を震え上がらせ、
世界を荒野のようにし、町々を絶滅し、捕虜たちを家に帰さなかった者なのか。』

新改訳第三版:イザヤ14:12-17

How art thou fallen from heaven, O Lucifer, son of the morning! how art thou cut down to the ground, which didst weaken the nations!
King James Version: Isaia 14:12

神に反する者であるサタン。その大元にいるルシファー(黙示録では、竜が、天にいる御使いの1/3を引き連れて、地に落ちたと言う記述があります)。そしてルシファーの配下にいる無数のサタン達(数千万体いると解釈しています)。その下位にいるさらに多数の悪霊達。

これら、神に敵する霊どもは、「自己愛」を強く持つ人を嗅ぎつけて、霊ですから、実に遠くから漂ってきて、スキがあれば、その人に入ります。いったん入ると、イエス・キリストの名と権威によって追い出さない限り、居座ります。住み着きます。福音書で主イエス・キリストは、悪霊が人に住み着くことについて説明しています(マタイ12章、ルカ11章)。この性質(たち)の悪い霊どもは、いったん人に入って住み着くと、もう出て行きません。イエス・キリストの名と権威によって追い出さない限り。厄介です。

そうした、サタン・悪霊が入るきっかけになりかねないのが、「自分が」「自分が」とまず「自分」をストーリーの中心にして考える「自己愛」です。

ルシファーがまさに「自己愛」に囚われていた天の御使いでした。
ルシファーは、非常に優れていて、美しく、知性もあって、極めて、有能な御使いであったと考えられます。

この「自分こそが優れている」「自分こそが美しい」「自分こそが一番だ」と言う意識が、ルシファーの特徴です。そうして、同じ性向を持っている人に近づいてきて、サタンそのものが入るか、サタンの手下の悪霊が入るかします。

そうすると、その人は、主イエス・キリストの名と権威によって、そのサタンないし悪霊を追い出さない限り、神から遠い人であり続けます。

イエス・キリストの十字架のへりくだりを一生理解することなく、人生を終えます。
主イエス・キリストの名と権威によって、そのサタンないし悪霊を追い出さない限り。