Courtesy of Elke Mader
悪霊の追い出しのケースに複数携わっていると、だんだんと共通のパターンがあることに気づいてきます。ほぼ全てのケースにおいて、親が未解決の問題があるため、子供の人格が悪い影響を受けて、それによって性的な逸脱を重ねるようになり、それにまつわる悪霊が複数入る。あるいは、占いやヒーリングや超能力開発やスピリチュアルの道を極めるルートに入り、それにまつわる悪霊が複数入る…。短く言えば、親が未解決の問題で子供が霊的に苦しむことになる図式が広く認められます。
この図式は、子供の世代でストップさせなければ、さらにその下の世代に受け継がれて行きます。由々しき問題です。
この図式を解消するには、その人が、本当の意味で主イエス・キリストを信じるようになり(これは偶像である三位一体の教会にいる限り無理です)、本当の聖霊をいただき、天の父の息子となり娘となり、神の人として一生歩むことが不可欠です。それ以外に道はありません。以下の投稿で、悪霊の追い出しを受ける人の条件として書いたことと同内容です。
悪霊の追い出しアップデート(2) - 悪霊の追い出しを希望される方へ
○親にあるコミュニケーション障害の問題
日本の親は、男親にしても女親にしても、戦後(太平洋戦争の後)、社会環境が大きく変化する中で、社会自体が適応することができずに解決し残した問題をたくさん抱えている/いたので、男親が男親になり切れない、女親が女親になりきれないと言う未熟さを抱えているのが普通です。周囲を見れば多数の事例が見つかるでしょうし、自分の両親のことを考えてみても、その未熟なポイントが複数見つかるはずです。
両親が未熟であるというのは、日本の時代が抱える病理です。これは、子供の世代にとっては、ある意味仕方がないことであり、現実として受け止めるしかありません。
親が、本当に主イエス・キリストを信じて、本当の聖霊が下っていて、天の父の息子や娘になっていない限り、未熟さが残るのは当たり前の話であり、さらには、親に悪霊の問題があって、それが子供を苦しめるというパターンも多々あります。
例えば、男親に潜在的なコミュニケーション障害がある場合、息子や娘は、それを反映して、コミュニケーションが難しい人間として育つことになるでしょう。日本の企業社会は、構成人員に強い圧迫を与える集団的な悪霊に取り憑かれている特徴があり(「集団的な支配を行い外れたものを村八分にする霊」と仮に呼んでいます)、多くの父親はそうした圧迫のある環境の奴隷となっています。ブラック企業と言う場合の「ブラック」がその一つの現れです。こう言う中で、自由で伸び伸びとしたコミュニケーションをしろと言う方に無理があります。ブラックな企業社会の中で鬱屈とした思いを抱えた父親は、家庭に帰ってきてからも、コミュニケーションをしたがらないでしょう。結果として、息子も娘も父親とはコミュニケーションができないし、自身も、男性の理想的なキャラクターである自由で闊達なコミュニケーションのロールモデルがない人間として大人になって行きます。
現在の若い親の世代は、ほぼデジタルネイティブと言ってよく、常時ネットを見ています。育児をしている母親がスマホを見ている姿は日常的に目にします。父親も同様でしょう。子供とコミュニケーションする前に、スマホを見てしまう男性は少なくないと思います。
こうした親の問題は、子供に影響します。
現在、三十代、四十代、五十代になっている人達の場合も、親に何らかのコミュニケーション障害の問題があったと、思い当たる人は少なくないと思います。親が、テレビを見て、コミュニケーションしない、といったことが多々あると思います。親と腹を割って話したことがない、などなど。
○父親が未熟だと子供に不満足がたまる
日本の父親は、家庭の中に「父」のロールモデルがいないという状況を、数世代繰り返してきた末裔として存在しています。夏目漱石の作品に登場する主人公の男性からしてすでに、父親が不在の様相を色濃く漂わせています。「それから」、「彼岸過ぎ迄」、「門」。そういう男性が描かれています。時代は下って村上春樹の「羊をめぐる冒険」やそれよりも前の「1973年のピンボール」なども、父親がいない、父親を見つけることができなかった男性が、成人になる過程で、色々な紆余曲折を経験する。そういう物語です。
日本は太平洋戦争に負けて、米軍が駐留軍として日本を支配するためにやってきて、男達は散々な屈辱を味わされました。戦争に負けた国の男ほど惨めなものはありません。男の自信、男の自負、男の権威などが粉々に打ち砕かれ、抜け殻のようになってその後を生きていかなければなりません。1945年の敗戦以降、日本の男はそうした現実を生きてきました。結果として、家の中では、父親という権威のある存在として振る舞えないということになってきます。
戦後は復興することが第一ですから、がむしゃらに働いて、70年代の高度成長期がやってきて、さらにはバブルに突入し、男のアイデンティは物欲やブランドやアイテムにすり替わって、2000年代の失われた10年、その先の失われた20年に突入します。
こういう中で、家庭の中の父親は、どのように良い父親であることができたか?家庭でむしろストレスを感じることはなかったか?(最悪の場合は、それによって不倫を重ねることにならなかったか?)
そういう下で、子供が育って、今、その子供達は二十代、三十代になっています。場合によっては四十代、五十代になっています。そうして、孤独の問題を抱え、結婚すれば配偶者とうまく行かず、子供の多くは深刻な問題を抱えていて、経済環境も苦しくなり始めている…。ある種の地獄です。
父親がこうだと、子供に不満足が常にありますから、その子供は、欲求不満を晴らすために、性的な逸脱へと走ります。四、五歳からマスターベーションをやるようになり、ポルノやエッチな漫画を見ることを覚え、BLに走り、女性向けの性欲を掻き立てるコミックを読み耽り、時代が1980年代であればテレホンクラブで男性に声をかけられることを覚え、時代が2000年代であればネットで売春することを覚え、男はSMに興味を持ち、そうした相手をネットで物色し…という世界にはまり込んで行きます。
ありとあらゆる欲情を掻き立てるものが、キーワード検索一つで出てきますから、ネットを得た子供は、そうした、ありとあらゆる欲情を掻き立てるものを浴びるようにして育って行きます。結果、そのような大人となります。そうして、性的な悪さをする諸々の悪霊が住み着きます。また、セックスをすると相手の悪霊がほぼ確実に入ってきます。多数の相手とセックスをすると、多数の悪霊に自分を明け渡す格好になります。最終的に、諸々の悪霊がいて、諸々の好ましくない行為を繰り返す、人生が破綻した人となってしまいます…。
母親が未熟なことから来るスキンシップの欠如によっても、そうした性的な逸脱が起こるでしょう。
○親の未熟が原因でスピリチュアルにハマるパターン
悪霊がその人に多数入るようになるきっかけは、聖書で言う十戒の罪の「姦淫」か「偶像崇拝」のいずれかがほとんど。上の性的な逸脱は姦淫であり、それによってその罪にまつわる悪霊が入ります。SMをやれば、SMの霊が入ります。小児性愛のポルノグラフィに耽溺すれば、小児性愛の霊が入ります。
占い、ヒーリング、カラー診断、チャクラ開発、アセンション、瞑想、超能力開発系のヨーガ、キャラクターを改善する効果を期待するアロマテラピー、スピリチュアル系の師匠について修行すること、等々。これらは全て聖書の文脈では「偶像崇拝」です。その背後には、必ず、固有名詞のある異教の神がいます。
例えば、オーラのカラー診断の背後には、ギリシャ系の神である「アウラ」がいます。オーラのカラー診断にはまり込んだ人には「アウラ」が悪霊として入り、これがどんどんエスカレーションして、多種多様な悪霊が入ることになります。中には「オルギア(Orgie)」にまつわる性的な乱痴気騒ぎにまつわる悪霊(神託で知られるデルフォイ系)もいるでしょうから、乱倫を繰り返す人になる可能性もあります。セックス中毒もその類ではないかと思います。すなわち、何らかのスピリチュアルをやったことで、ギリシャ系のオルギアにまつわる女性の悪霊が入ったということです。
このようなスピリチュアル各種も、その女性が、ないし男性が、それにはまり込むことになった真因は、親の未熟さにあるというケースが少なくないと考えています。というより、むしろ、スピリチュアルにはまり込むことになるケースのほぼ全ては、親の愛情不足、スキンシップ不足、コミュニケーション不足、あるいは、親が異教に熱心であった、それらのいずれかが原因でしょう。
簡単に言えば、親が解決しきれていない問題があると、それで子供が不満足に育ちますから、その欠落をスピリチュアルで埋めるというパターンがあるのです。
親が新興宗教など異教に熱心である場合(これにはよく問題となっているJWなども含みます)、同じく子供に不満足が蓄積されますから、一定割合で、スピリチュアルに入っていく息子、娘を生むことになると思います。でなければ、上記の性的な逸脱です。
○主イエス・キリストを本当の本当に信じれば(嘘でなく)、その人も家族も必ず救われる
結論から言うと、親が、主イエス・キリストにあって完全に救われ、本当の聖霊をいただいて、天の父の息子、娘となる。これによってのみ、この問題の図式は完全に解消します。本当の神である天の父が、その息子であるイエス・キリストの十字架によって、それを信じる人に、聖霊を下し、神の人として造り変えるのです。
これが起こるには、子供が、まず、主イエス・キリストにあって完全に救われ、本当の聖霊をいただいて、天の父の息子、娘となることが不可欠です。
以下にあります。
看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。
そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。
ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。
そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。
使徒の働き16章
三位一体を掲げる教会で、通り一遍の洗礼を受けて、クリスチャンと呼ばれる存在なる…と言うだけでは全く足りません。本当の神がどなたであるか、聖書をよく読んで理解し、本当の信仰を持ち、初代教会と同じように、本当の聖霊をいただき、主イエス・キリストが宣教し、パウロもまた宣教した「神の国の福音」を全世界に宣べ伝える神の人にならなければ、何も変わりません。祈りも聞かれません。
そのようにして、神の国を、自分と自分の周囲に、自分の家族に、自分が住んでいる地域や職域にもたらして、主の栄光を積極的に現す存在となる。それを主イエス・キリストの御名によって行う。常に主イエスの名によって感謝をし、賛美をして、全ての事柄に取り組む。家族にも主イエス・キリストの救いや執り成しがあり、そこに天の父の愛が満ちる。そのようになることによって、この種の問題は、完全に解消するのです。