霊とまことの礼拝の本質(1)- ヘブル書8章〜10章 | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Pedro Szekely

 

三位一体にだまされてはなりません!

神の御子である主イエス・キリストがヨハネの福音書4章で解き明かした、真の礼拝者の本質。すなわち、霊とまことによって、父を礼拝する人、そのあり方。
これが、グノーシス/新プラトン主義を背景としている偶像、三位一体の下では、全く理解できません。これを真に理解するには、三位一体の教会群と「分離せよ」です。

女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。
私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。

ヨハネ4:19-24

不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。
キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。
神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。

第二コリント6:14-18

○唯一のまことの神は、ただお一方、天の父だけ

天の父こそが、唯一のまことの神です。御子ご自身がそうおっしゃっています。断じて、三位一体の三つにして一つなる忌まわしき偶像ではありません。

その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
ヨハネ17:3

パウロも数カ所で、父なる神が「唯一の神」だと書いています。父と子と聖霊が一つになっている神が「唯一」であるのではありません。そんなもの、パウロやペテロが亡くなってから200年後に、異教がはびこるローマ・ギリシャの地から生まれた異端がひねくりまわした人工的な神に他なりません。

父なる神こそが、唯一のまことの神であり、アブラハムに現れた神YHWHであり、モーセに現れた神YHWHであり、イスラエルの神と呼ばれている方、ペテロによって「生ける神」と呼ばれた方です(マタイ16:16)。

ヨハネ4章で、真の礼拝者が礼拝する神は、この神、すなわち、天の父のことです。
断じて、訳のわからない三位一体の神ではありません!

この真の礼拝がなければ、その人は、本当の神と一切関係がないですから、救われもしなければ、毎日の生活に平安が来ません。まことの神と結び付いていない訳ですから、その地を支配しているサタン、悪霊が寄ってたかって、その人をビクビクさせます。

○ヘブル人への手紙8章〜10章に霊とまことによる礼拝が書かれている

ヨハネ4章で記されている、霊とまことによる礼拝の中身は、パウロが、ヘブル人への手紙8章〜10章で細かく書いています。

私たちはヘブル人=ユダヤ人ではありませんから、この、ユダヤ教の歴史や伝統を踏まえて書かれているヘブル書を読み解くには、相応の勉強が必要です。

それについて記していく必要があると考えています。