ハイデルベルク信仰問答第二主日の問4が参照している証拠聖句のうち、特に申命記6:5について見て行きます。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
引用している前後の聖句を含めて。
申命記6:1-9
これは、あなたがたの神、主が、あなたがたに教えよと命じられた命令――おきてと定め――である。あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地で、行なうためである。
それは、あなたの一生の間、あなたも、そしてあなたの子も孫も、あなたの神、主を恐れて、私の命じるすべての主のおきてと命令を守るため、またあなたが長く生きることのできるためである。
イスラエルよ。聞いて、守り行ないなさい。そうすれば、あなたはしあわせになり、あなたの父祖の神、主があなたに告げられたように、あなたは乳と蜜の流れる国で大いにふえよう。
聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。
これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。 これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。
旧約聖書の「主」は、ヘブライ語原典では"YHWH"と記されています。十戒の「神の名をみだりに口にしてはならない」がありますから、この"YHWH"は読まれない文字、読むことのできない文字として存在していました。これをユダヤ人たちは長年"Adonai"とふりがなを振って読んでいたと、各種の文献を元にWikipediaでは書いています。
Wikipedia: Tetragrammaton
ヘブライ語の"Adonai"の意味は「あるじ」「主人」。そのことから英語聖書では"LORD"と訳され、日本語聖書では「主」と訳されました。
主イエス・キリストはユダヤ人として育ちましたから、毎週安息日にはシナゴーグ(教会堂)で旧約聖書を学んだはずです。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:5)も「主」(ヘブライ語原典では"YHWH")の部分が朗読される際には、ふりがなが振られているヘブライ語"Adonai"として読んでいたはずで、そこから、イエス様がこの部分をマルコ12:20、およびマタイ22:37-40で引用した際に、「主」の部分を"Adonai"と発音されたはずです。それが現在に至るまで「主」、英訳聖書では"Lord"、原典のギリシャ語新約聖書では"Kyrios"として記され、あるいは訳されてきています。しかし、大元はヘブライ語の"YHWH"、誰も発音してはならない神の名なのです。
御子イエスは、この誰も発音できない神を「天の父」であると紹介しました。
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家の教会など教団・会派の指導がない教会における礼拝メッセージやバイブルスタディでは、取り上げる聖書箇所の選び方が、行き当たりばったりになりがちです。聖書には実に多くの事柄が記されており、道しるべなしに読み進めていると、極めて重要な概念を理解しないまま、キリスト信徒として年月だけが積み重ねられることになりかねません。
そういう中で「規範となるテキスト」として、ルターの宗教改革から約50年後に編纂された「ハイデルベルク信仰問答」を用いることには、大きな意味があると考えています。プロテスタンティズムが確立してまもない頃の、新鮮な聖書理解が反映されたテキストであり、大きな驚きを覚えながら読み進めることができます。
その後の450年間に無数の会派に分裂していくプロテスタント教会の大元にある、太い源流のようなプロテスタント信仰が、一種のタイムカプセルのように保存されたテキストであることにも大きな意味があります。現代の多くのプロテスタント教会では教えられなくなった、極めて重要なキリスト者のあり方が取り上げられています。
ハイデルベルク信仰問答は、宗教改革後にドイツの各教会が聖書を手がかりとして信仰の規範を確立しようとしていた時代、「決定版となるテキスト」を確立すべく、当時のプファルツ選帝侯フリードリヒ3世が有力な聖書学者や聖職者を集めて編纂しました。キリスト教信徒として知っておかなければならない、最も重要な概念をカバーできるように、129の質問と回答によって構成されています。また、第1主日から第52主日までの区切りでまとめられており、1年間分の構成となっています。