ブダペスト
詩篇63
しかし、私のいのちを求める者らは滅んでしまい、地の深い所に行くでしょう。
彼らは、剣の力に渡され、きつねのえじきとなるのです。
しかし王は、神にあって喜び、神にかけて誓う者は、みな誇ります。偽りを言う者の口は封じられるからです。
ダビデの詩篇に見られる「敵」に対する姿勢。神に対して、敵を滅ぼして下さいと祈る心。敵は必ず滅んでしまうという確信。
こういう敵に対する感覚が、エペソ6:12の霊の戦いでは大切だ。反キリストの霊や、他の神々を拝む霊や、キリスト者を奴隷にする霊。こうしたものを敵とみなして、姿勢を取る。
ヨブ記冒頭にあるように、サタンも神のワールドの住人であり、聖書の枠組みの中で活動している。元々は天の御使い(天使)だったが、反乱を起こして天から地に落とされた(黙示録12章)。
サタンはイエスが神の子だということを、知りすぎるぐらい知っている。
そうして、イエスの十字架と復活により、自分達が絶対に勝てない存在になったことを、全サタン(御使いの1/3、数千万いる)が知っている。イエスに対して身震いしている。
イエス・キリストを信じるキリスト者、イエスの名を信じるキリスト者は、その名と、いただいた権威により(ルカ10:19)、
サタンを滅ぼすことができる。地の上で、権威ある者として、毅然と振る舞い、淡々とサタンを滅ぼすことができる。サタンはキリスト者の信仰を見る。霊の戦いは信仰に基づく。キリスト者の信仰が毅然としていて、揺るがないとわかると、サタンはイエスに身震いするように、その人に対して身震いする。
サタンは、自分を怖がるキリスト者に対しては、どこまでも怖い存在として振る舞う。その人をビビらせる。人を怖がらせるのが、サタンの得意技。しかし、イエス・キリストの名と、主イエスからいただいた権威を信じている信仰の戦士、ゴリアテに向かっていったダビデのような戦士には、震え上がる。