写真はテルアビブ市内ヤッファ。2018年3月
「疫病」(感染症の蔓延)についての記述が旧約聖書に53箇所あり、神が疫病をどのように折り扱っておられるのか、読んでいくとわかる。
当時と現在とで、神は同じ神であるから、同じように疫病を取り扱っておられる、と考えるのが自然な論理。
人間が神から離れてしまったときに疫病が起こる。
ほぼすべての人間は、人間社会を動かしているのは人間だと思考する。
万物は神が創造されたものであるのに、人間の心の中だけが、神の不在の領域になっている。だから神の御業が見えない。神のメッセージが受け取れない。
神がすべての造り主。
人間は造られた者。
これがわかるまで警告が続く。
平時においては、クリスチャンは、神の国の福音を宣べ伝えることが要請されている。これは未信者に対して。
終わりの日々においては、未信者に対する働きはできにくくなり(ヨハ9:4)、信者は信仰を保つことが困難になる可能性がある(マタ24:13、マルコ13:13)。
励まし合うことが不可欠になる。
終わりの日々には、残された者(ローマ11:5)が結局ひとりで、天の父と主イエス・キリストに向き合わざるを得なくなる(マタイ24、マルコ13、ルカ21を総合)。しかし彼らは信仰によって一つ(ガラ3:28、エペ1:10、エペ4:4-5)。目には見えないが一つ。アブラハムの子孫であり、神の子供たち。