これを書いている今、実は大阪に来ています。
ある方の悪霊を追い出すことと、水のバプテスマを授けさせていただくことのために、金曜の夜に東京を発って、土曜日、日曜日と、それらのことを行いました。
一連の展開は、主イエス・キリストにあって、まことにすばらしいものであり、まさに、主は生ける神、主は生ける神であられるのだなということを、私も経験しましたし、バプテスマを授けられたその方も経験したと思います。また、付き添われていたその方の婚約者の方も経験されたと思います。
主イエス・キリストが今も生きておられ、天の父ももちろん生きておられ、リアルタイムで、信じる私たちに働かれる存在であるということを、いま、改めて実感しています。神が生きておられるからこそ、このようなことが可能であるという一連の展開でした。その方の個人的な事柄がありますから、ここに書くことはできませんが、そうした展開でありました。
主イエス・キリストにあって救われるとは、前回の投稿にも書きましたが、世界の基が据えられる前から、主イエスにあって天の父がお選びになっていることと、私たち信じる者が、最終的に黙示録に記されている新天新地に入っていことから、永遠の時間にかかっている事柄です。
サタンは、また下位にいる悪霊は、こうした永遠の時間にかかる主イエス・キリストにある救いを、その人の人生におけるある一定の時間、妨害する形でその人に悪さをします。しかし、主イエスにあって救われる人は、どうにかして、それはまさに、神の働きとしか言えないような形で、どうにかして、主イエス・キリストの福音を聞き、その福音を信じ、みことばを学び、主イエス・キリストにつながれるような道を歩まれて、主イエス・キリストにあって救われるのです。人生のどこかで播かれた(人生のどこかで聞いた)みことばの種は、その人のうちにおいて芽を出し、実を結ぶのです。それは神の働きによります。
まことに、まことに不思議な神の働きです。
主イエス・キリストの御名によって、天の父の栄光をほめたたえます。
主よ、まことにあなたは神であられます。
御子は御父におられ、御父は御子におられ、御子は私たちにおられます。
ハレルヤ!
聖霊により、この真理を知ることができたことに感謝いたします。