終わりの日の神の怒り。御子イエスとみことばの役割 | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Stanley Zimny

 

現在を生きている私たちは、ニュースを見たりネットを読んだりして、それだけで世の中が成り立っているように考えがちですが、その実、すべてのものを創造なさったのは神であり、神のご計画が現在も進行中です。そして、その神のご計画は、聖書にすべて記されています。
聖書に書かれていないことが起こることは、絶対にありません。すべては、神の言葉である聖書に書かれています。あのことも、このことも、その出来事の成り立ちは、聖書に記されています。

現在は、聖書で「世の終わり」として記されている時代に差しかかっているか、すでに入っています。しかし、聖書は、神の言葉であり、人間が理解しやすいように、何年何月に何が起こる、という風な書き方で神のご計画が書かれているのではなく、主イエス・キリストを信じて聖霊をいただく人に、予め準備ができるように、気づきがあるように、備えができるように、色々な事柄を、神の言葉として、霊のメッセージとして(聖霊に満たされている中で真意がわかる)、書いています。
そのようにして聖書全巻で書かれていることが、その全体像がだんだんと理解できるようになってくると、「ああ、神のご計画が現在進行中なんだな」という理解ができるようになってきます。

神のご計画とは、そもそもの天地創造の前からあったものですが(エペソ1:4)、御子イエス・キリストによって、聖書に預言されている終わりの日に起こる諸々の災いから、人々を救い出すということです。
御子イエスを神の子であると信じて受け入れた人には、終わりの日の災いが臨むことはありません。しかし、受け入れない人には、それが臨みます。神の怒りとも書かれています。

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
(ヨハネの福音書3:36)

なぜ、神の怒りなのか?

それは、人間をお造りになった神を知らず、神を尊ぶことがなく、心からの礼拝を捧げることもなく、そのすばらしさを賛美することもない(ローマ1:21)。実は、日ごとの食べるものや、着るものを、すべてご用意下さっているのは、現在もリアルタイムですべてを創造なさっている神であるのに、そのことに気づかず、感謝を捧げることがない。
そういうことを、ずっとずっと忍耐しておられるのです。

そこのところを、完全に解決するために、イエス・キリストだけを信じれば、あとは良い、という道を、神はご用意下さいました。このイエスは、神の一人息子です。

そのようにして地に遣わした御子イエス・キリスト。
この御子を信じることがなく、神をあがめることがなく過ぎてきている人たちに、ある時、時間の締め切りがきて、聖書で預言されている終わりの日の諸々の患難が臨むのです。
神は、ずっと忍耐しておられて、御子イエス・キリストを示しておられたのに、悔い改めることがなかったので、ある時で締め切りとなって、そうして、神の怒りが臨むのです。



イエス・キリストを受け入れなかった人は、終わりの日に神の怒りを受けるだけでなく、裁きを受けて、永遠に消えない火の中に入る可能性が、きわめて高いです。それが永遠に続く状態に入っていくのです。
これは、自分をお造りになっている神を認めなかったから、すなわち、そのひとり子の御子イエスを受け入れなかったから、そのようなネガティブな永遠の裁きが下る…、そういう可能性が高いということです。



一方で、主イエス・キリストを信じた人たちは、永遠に神を賛美し続ける霊的な都の中入って行きます。

これが神のご計画です。

御子イエスが、神のひとり子であると信じ、受け入れることによって、神のご計画にある、永遠に神と人ととが喜びのうちに歩む世界、すなわち、創世記で創造された最初の状態が回復されたところに入っていくことができるのです。

神のみことばは、こうした神のご計画を告げる役割も持っています。