主を愛すること、自分を愛すること | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル



救いを求めても答えがない時、おそらくは、自分を愛する愛の方がまさりすぎている可能性があります。


自分を造ったのは誰ですか?

なぜ、神に求めるのですか?

神が祈りに答えてくれると知っているのならば、その相手を、一方的に恵みを引き出せるATMのように求めてだけいていいのですか?


私もこういうことに長らく気づきませんでした。


天の父も、御子イエスも、求めるものに応える用意がある神です。

しかし、神にも、喜ぶことと、喜ばないこととがあります。



わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。

飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。

そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。

イザヤ書 58章6~8節


自分を愛する愛は、誰にもあると思います。一方で、神を愛する愛が、自分にあるかと言うと、多くの場合は訓練をしないと、神への愛が活性化しない状況にあると思います。

この世のやり方は、神への愛を考慮に入れていません。普通は、その中で生まれて大きくなるので、神への愛し方を知らずに大人になります。聖書にありますが、自分を造ったのは神です。


それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。

詩篇 139篇13~14節


自分を造って下さったのが神であることに気づくと、神が近くなります。



その方を愛する。自分を造り、万物を造って下さった方を愛する。


イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。

心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

マルコの福音書 12章29~30節


このことができるようになると、御子イエスを通じて、救いの中にまっすぐ入っていけるようになると思います。