世の中の言葉に満ちあふれている中で生まれて育ってきた人には(以前の私もそうでしたが)、イエスを信じる、という大変にシンプルなことが理解できません。
言葉が違うのです。
世の中で普通に使われている言葉と、神の言葉には、大きな開きがあります。
「イエス」というのは、紀元前6-4年ごろに生まれた方の固有名詞ですが、そういう受け止め方をするのは、この世の言葉として、です。
しかし、イエス、という人は、非常に特殊な状況で生まれて来られて、きわめて特異な人生を送り、この上ない残忍なやり方の死刑になって、死なれました。
そうして、このイエスを、天地万物を創造した神が、復活させました。再び生きるようにしました。(すべて新約聖書の4つの福音書に書いてあります)
こういう経緯があって、「イエス」は、普通の固有名詞ではなく、神の言葉としての意味を持つようになりました。
神の言葉には、この世の言葉にはない、神の力が働きます。
神の言葉は、信じる時に、神の力が働きます。神の業(わざ)が現れます。
「イエス」は、その優れた行いと十字架の犠牲により、神の言葉として存在していて、それを信じる時、神の力が働きます。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネの福音書 7章38節
私は、イエスを救い主として信じます!という時、それを神が聞いていて、そこに神の力が現れるのです。