神の言葉は生きていて、神の働きをする | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル



キリスト教信仰に特徴的なのは、聖書の言葉を神の言葉であると認め、それを信じることです。


神の言葉は生きています。その言葉には、神ご自身が信じたことが乗っています。神の願い、神の意図、神の計画が含まれています。そうして、それを受け取る人に、神の働きをします。


これは、世の中の言葉の中に生きている人には、すぐには理解できないことです。


普通、人は、親や先生や読んだ本やネットや尊敬するアーティストの言葉に耳を傾けて、その言葉を心に刻み、影響を受けて生きています。これは人の言葉です。


人の言葉は、神の働きをしません。病を癒すこともないし、苦しみの穴から引きずり出してくれるわけではありません。

人の言葉は、人の働き以上のことはできません。


神の言葉は、人を救い、人を苦しみの穴から引きずり出します。目に見えない呪いから解放し、心に安らぎを持ってきます。


わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

マタイの福音書 11章29~30節




現代の人は、時には邪悪な、神の反対の働きをする目に見えない存在の息がかかった言葉に耳を傾けていることもあります。その影響を受けていることがあります。そういう場合は、その人は、どんどん良くないところへ引きずりこまれていきます。嘆かわしいことです。



聖書に書かれている神の言葉を信じると、そこで、祈りができるようになります。聖書の言葉は、すべて、一つの存在に向かっていて、それは、イエス・キリストです。聖書に記されている神の言葉を信じるとは、つまるところ、イエス・キリストを信じるということです。


イエス・キリストを信じて祈る時、それを、神が聞きます。イエス・キリストも神。イエス・キリストの父も神。聖霊という、私たちの内に来てくださる方も神。これらの神は、一つの存在でもあります。その神が祈りを聞き、応えて下さいます。


苦しいところから、救い出して下さいます。


神に不可能なことは、一つもありません。

苦しいところにある人は、実は、神の敵であるサタン(悪魔)の束縛の下にあります。この束縛から完全に解放して下さいます。このことは、後からわかることです。ああ、自分はサタンの目に見えない束縛の下にあったのだなと。解放されてからよく見えるようになります。


解放されるのは、神の子であるイエス・キリストが、私たちの身代わりとなって極めて苦しい激痛の走る経験をしながら十字架にかかって下さり、まったく汚れのない、神の子の血を流してくださって、その十字架と血により、すべての罪と悪が打ち消されるからです。


神の言葉には、そのような大変に尊い力が働いています。信じる者に、その力を現して下さいます。


また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

エペソ人への手紙 1章19節