神がいつも手を差し伸べているということ | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル



基本的に、神は、私たちを、神にふさわしい者とするために、いつも手を差し伸べています。多くの場合は、私たちの方が、ある意味で鈍いので、そのことによく気づきません。


イエス・キリストについて聖書で書かれていることを素直に読むと、実に驚くべきことが書かれています。


イエスを救い主であると信じるだけで、永遠のいのちが与えられます。永遠のいのちとは、単に言葉だけで捉えると、何のこともなく通り過ぎてしまいますが、よくよく考えてみると、想像を絶する中身を持っています。


人間が罪だらけでは、永遠のいのちの中に入って行っても、苦しさが永遠に引きずられるので、楽しくないでしょう。


永遠のいのちの中では、明るく、楽しく、喜びに満ちて、いつも感謝し、いつも賛美して、聖なる者として、神の栄光を反映させた神のお姿に似た者として、永遠のいのちを生きます。それだから、永遠のいのちがすばらしいのです。


そうした者に近づけるように、聖書では、実に多くの手段を提供しています。学んで、トライして、自分に取り込めば、あとは聖霊が助けてくれます。神の力によって、自分が変えられていきます。そんなにたくさん片意地張って頑張らなくとも、聖霊が神の力を発揮して、助けてくださいます。

イエスの言葉も、神の力として働きます。天の父が、常に見ていて下さいます。


そのようにして、色々な形で、神は、私たちに手を差し伸べています。これが神の愛です。


神の愛を知るためには、神に頼り、神に近づいてみることです。聖書で書かれている約束を、「どうか、私にも下さい」と祈ってみることです。


私を救って下さい。

私を助けて下さい。

私にあなたの恵みを与えて下さい。

このように、素直に口に出して、祈ってみることです。


すると、常に手を差し伸べている神の力が働き、イエス・キリストを中心とした信仰が動き始めるでしょう。色々の手段が、一つひとつ、切り開かれて行くでしょう。そもそも人間は、神の似姿として造られました。そうした人に、なって行くでしょう。


まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

コリント人への手紙 第一 2章9節


アーメン