以下は私のFacebook投稿から。2017年3月11日付。
====
2013年の3月頃か、タンザニアの首都ダルエスサラームにいた。政府機関などの訪問が一段落した日曜日の朝、7時ぐらい。デジカメを持ってホテルの界隈をうろうろして、通りや建物の写真を撮っていた。旅先で朝、時間の余裕があると必ず行う儀式のようなもの。朝のストリートの写真が好きである。

タンザニア国エネルギー・鉱物資源省に二度伺って交渉をした。

朝のカフェで撮った写真。インドと同じチャイを飲ませる店。
ホテルから数百メートルのところにある商店街を歩いて、あちこちにカメラを向けてシャッターを押していたところ、真っ白いシャツを着た、ものすごく背の高いタンザニア人の男性が近寄ってきて、「旅行者が街路の写真を撮ることは、先日できた法律で禁じられた。カメラをしまって、ここから早く立ち去らないと警察に捕まる」と、警告を受けた。非常に端正な顔をした、紳士的な男性(後記。今なら伝道師のトッド・ホワイト師に似ている雰囲気と書ける)。外交官的と言っていいぐらい品位の高い顔。警告だから険しい顔をしているかと言うと、そんなことはない。穏やかな表情で語る。

お世話になっていたお二方。こっちは太っている。
写真を撮るなと言われた私の方は、「そんなアホな。んなことあるか」と思っていたが、同国の法律の事情はまったく知らないので、まあしょうがないかと考えた。カメラを肩掛けバッグにしまい、その場を立ち去って、ホテルに帰り始めた。1つの路地が気になっていて、彼に言われなければあそこに入って行って写真が撮れたのに、と思いながら通り過ぎた。そのまま宿に入りたくもなくて、近くのカフェに入って、スマホで新聞を読んだりしていた。

上で述べているカフェ。ビル倒壊の数分前。

同じカフェで。同じ時間帯に写した写真。
◼︎倒壊した建設途中のビル
それから10分ぐらい後、あたりがゆらゆら揺れて、地震だと思った。ゴーッと言う音は記憶していないが、きっと鳴っていたはず。自分の座っている席からよく見える、前方100メートルの曲がり角の向こうから、土ぼこりがもうもうと湧いてくる。何事かと思った。すぐに人々の大きな声が聞こえて、曲がり角の右に入って行く。何か起こったのだと思いつつ、私も野次馬の1人となって、その角を右に曲がって見てみた。巨大な瓦礫の山が路地を塞いでいて、まだ新鮮なとしか言いようのない土ぼこりがもうもうと舞っていた。ビルが崩れたのだとすぐにわかった。(後に工事が中断していたビルが倒壊したのだと知った。数名が下敷きになって亡くなった。)
その通りが、先ほど、背の高い男性から写真を撮るなと警告を受けていなければ、私が入って行って、パチパチ写真を撮っていたかも知れない路地だとすぐにわかった。うわー。ビルの崩落に巻き込まれていたらどうなっていたか、リアルに考えられなかったが、足が震えた。
しばらくして、その背の高いタンザニア男性が、顔も、背の高さも、話しかけてきた様子も、かなり人間離れしているのが気になってきた。彼は誰なのか?
その頃の私には、聖書的な文脈で言う「天使」の知識があまりなかった。今では、天使が時々、人間の格好をして現れることがあると知っている。
今から考えれば、背の高い男性が醸していた特殊な雰囲気。あまりに端正な顔立ち。唐突に私のぶらぶら歩きに割り込んできた、そのおせっかい。総合すると人間でなかった可能性が高い。ビル崩落に巻き込まれて私が死ぬのを防いでくれた天使だったかも知れない。

写真はダルエスサラーム郊外のドライブインにいた猫。賢そうな顔をしている。
以上は、まだ肉的な事柄にまみれていたクリスチャンとは名ばかりのクリスチャンだった2017年3月に書いたもの。「イエスの証」とは言えない雑文。
しかし、いま、聖霊様が「あの時も私たちはあなたと一緒にいましたよ」とさらっと補足して下さった。ということは... あれは天使だった!
2000年前後に上海の街をさまよっていた時にもいましたよ、と示唆された。
要は、肉にまみれた生活をしていても、イエス様も、聖霊様もきちんと見ていて下さるということ。
きちんとした証になりました。ハレルヤ!
上を書いた後に見つかったダルエスサラームのビル倒壊事故を報じる新聞記事。
Tanzania's economic capital Dar es Salaam building collapse toll hits 25
タンザニアの経済首都ダルエスサラームのビル崩落、死者25名に
この新聞記事と照らし合わせると、私が経験したのは、奇跡だった可能性があります.. .. おそれおおいことです。
わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。
まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。
彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。(詩篇91:10-12)