再びやや遅れて掲載します。このコロナウィルスの感染拡大の騒ぎで大手映画館のシネマ系、TOHO系、東急109系も先週28日29日の土日は休館でした。今週も休館を予定している映画館もあるようですーネ。まあー多くのイベントやコンサートが自粛要請にこたえて中止になっているので、映画館の上映が中止になってても可笑しくはないですーネ。もしも金儲けのために上映していたならば、批判は浴びるだろうーネ。東京都の感染者が毎日毎日累増している数字をここに書いても仕方ない・・・デスネ。コレラやスペイン風邪など過去のウィルスによる集団感染と死の歴史を書くのは、ちょっと好奇心を刺激するかーナとも感じましたが、まあ、それも在り来りかな・・・。ワイドショーを見ていてチョト気になったことが一つあります。コロナウイルスに関してWHOのテドロス事務局長の発言に辞任要求が出ているようですが、彼の背後にあるwhoのマーク、杖に巻き付いた蛇の図象が気になりました。これは「アスクレピオスの杖」と呼ばれるマークで、ギリシア神話に登場する名医アスクレピオスが持っていた蛇の巻きついた杖は、医療・医術の象徴として医療関係の組織や建物によく使われているシンボルマークのようです。私は「蛇」は嫌いなので、何かあの蛇はオドロオドロシイですーネ。でも蛇の毒は今流行しているコロナスウィルスなどのような細胞の中で生きて人体を毒する病原菌やがん細胞を殺しそうですーネ。人類史の中で生き物と人間と共生してきたウィルスは、結局、人間が生き残るためには、肉体の細胞がウィルスに感染して、人間自身が免疫を持つほかはないみたいですーネ・・・。
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2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の地震が発生、それに伴う巨大な津波が福島第一原子力発電所を襲う。津波による浸水で所内全ての電源がストップする。そのことでポンプが停止する、原子炉の冷却が停まる…つぎつき起こる地震と津波の被害で、メルトダウン(炉心溶融)の危機が迫った。所内の責任者である吉田昌郎所長(渡辺謙)と1・2号機当直長伊崎伊崎利(佐藤浩市)他の現場作業員50人は、被爆の恐れのある原発内に残り、原子炉制御に奔走するという映画でした。
私は地震と津波の始めのシーンから、あれれ、何かの映画に似ているな・・・と感じました。そうです、あの「ゴジラ」が海から上陸シーンではないかーと錯覚しました。
日本の観測史上最大となる東北地方太平洋沖地震「東日本大震災」が発生してから10年が経過した今、学者の論説やニュース映像よりも何よりも、原子力発電の危険性を訴えるには大きなインパクトがありました。この映画を見た人間ならば、誰でも原子力発電によるエネルギーの調達は余りに危険だ…、クリーンエネルギという美名に載せられてパンドラの箱を開いた人類は、もう一度原子力ではない方法で電気を起こすべきだという意見を共有するだろうーナ・・・。偶然にも新コロナウィルス感染が国内に蔓延したために、各地での慰霊祭は中止になりました。死者15,894人(宮城県9,541人、岩手県4,673人、福島県1,613人、茨城県24人、千葉県21人、東京都7人、栃木県4人、神奈川県4人、青森県3人、山形県2人、群馬県1人、北海道1人)、依然として行方不明者は2,562人。震災関連死を含めると死者は19,418人にのぼる未曾有の死者でした。この映画は慰霊祭映画と言ってもいい位ですーネ。
ドキュメント映像では原子炉内部の被害や福島県内の町を津波の濁流が押し流す風景はよく流されますが、原子炉の災害がメルトダウンまでの危機を迎えた時に、内閣の危機管理室の混乱や当時の総理大臣菅直人(佐野史郎)や東電本店幹部の狼狽ぶりは中々映像化されなかったですが、この危機の状況での混乱が映像化されることで、改めて原子力発電は停止すべきだ・・・と再認識しました。
一本目は、原子炉崩壊映画『Fukushima 50』(2019年公開、若松節朗監督、門田隆将著「死の淵を見た男」、前川洋一脚本)は、どんな知識人でも権威ある人でもこの危機の原子力事故の刻々変転する状況と終息方法に途方に暮れることを知らしめる教訓の映画でした。ということは、どんな機器マニュアルがあろうとも危機に準備しようとも原子力の事故と危機きは、簡単に回避できないということですーネ。だから、最早原子力発電は止めよう・・・という意見に一致するのだけれども、依然自民党は原子力発電を次々と再稼働しています・・・???世論を原子力発電に引き込もうと、電気事業連合会は石坂浩二を使って電気のメディアミックスが妥当の手段のようにTV宣伝を頻繁に流していますーネ。
2本目は、新宿の歌舞伎町で偶然であった薬チュウの少女・モニカ(小西桜子)を追いかけていたヤクザと懇ろな悪徳刑事・大伴(大森南朋)を一撃で殴り倒して助けたことで、中国マフィアとヤクザから狙われることになったプロボクサーの葛城レオ(窪田正孝)を主人公にしたやくざ映画『初恋』(2019年公開、三池崇史監督、中村雅脚本)でした。今更好いた恋したなどというほのぼのした恋愛映画など魅力はないが、私は映画監督の三池崇史がどんな作品を制作したかに興味を持ち、映画館に足を運びました。将来有望なプロボクサーが、父親の借金のためにヤクザの売春宿に薬チュウにされて監禁されたモニカに、甘い恋心をオブラートに包んだバイオレンス映画でした、まあーネ、娯楽映画としては飽きさせない作品の出来栄えでした、やはり映画製作に手慣れた監督だな・・・と思いました。期待をしてなかったのですが、ただーネ、下手をするとロマンポルノになってしまうよ。娯楽映画以上の期待感を監督に持ってしまいます。でも、チョットと手抜きで粗雑なプロットだな・・・と感じる点がたくさん在りました。まずは、プロボクサーという主人公レオが家族を知らない天涯孤独の捨て子ゆえに、女性に優しいという人物の輪郭まではよいが、そんな堅気の男が、やくざに向けて引き金を引いてチヤかでドンパチの打ち合いを直ぐ出来るかよ・・・!!!しかも体に向けて拳銃の弾で射撃できる、???試合で格下のボクサーにノックダウンされて、脳内を画像で透視する「MRI」を見た医師は、脳腫瘍と診断して、余命が短いと診察した。コントのようなどんでん返しの結末は、他の患者の検査画像と取り違えて診断したーというストーリでした。でもーネ、TVドラマに頻繁に使われている余りに手あかに塗れた漫談のような誤解ですーネ。最後のレオのボクサー復活と、モニカとの新しい家族を想像させるハッピーエンドは、どうも納得ができないよーネ。第一リアリティーを求めるならば、薬チュウのモニカはどうやって麻薬の地獄から抜け出したのだよ・・・、アニメの原作のような曖昧さの残る作品でした。率直に言って、三流娯楽映画ですーネ、でも何も思考せずに楽しめました。
ヴィクトル・ユーゴーの小説「レ・ミゼラブル」の舞台として知られるパリ郊外のモンフェルメイユは現在、低所得者や移民たちが多く暮らしており、治安が悪く犯罪多発地域となている街でもあるようです。人種の坩堝のような街で、まるで多民族国家・アメリカのニューヨークのような犯罪多発地域で、犯罪防止班の3人の警官、ステファン(ダミアン・ボナール )、クリス(アレクシス・マネンティ) 、グワダ(ジェブリル・ゾンガ )が車でパトロールしていた時、イッサという黒人少年が子犬のような動物園のライオンをペットにしたくって抱いて盗んだ些細な窃盗事件が起きた。それが引き金となって、町の黒人たちとサーカス団のグループがイザコザを起こしていた・・・。更にイッサを捉えた警官たちと、それを取り戻そうとする街の子供たちとの間に、小競り合いがあり、子供たちが警官を挑発するうちにゴム弾がイッサの顔面に命中して大怪我を負わせる・・・暴行事件となった。その小さな騒動が街の暴動にエスカレートとしそうになり、それにならず者が関わり一触即発の暴動に発展しそうになる。
この映画をあのスパイクリー監督が絶賛しているようです。映画界の好評に刺激された私も観ました。アメリカやロシアなど大国のお金と政治権力と軍事力を以てして、民族が抑圧され武力で存在を抹殺され土地を追われる少数民族が地球にたくさんあります。その理由が、宗教だったり人種だったり原初的な暴力性だったりします。愛と平和などという「理念」では解決しそうにない根の深い対立構造です。
3本目は、モンフェルメイユを舞台に社会矛盾を含んだ警官と市民との間の衝突を描いた社会派の多民族国家の街の、サラダボール犯罪の映画『レ・ミゼラブル/ LES MISERABLES』(2019年公開、 ラジ・リ 監督、ジョルダーノ・ジェデルリーニ&アレクシ・マナンティ脚本)でした。
ラジ・リ監督は、もともとモンフェルメイユで生まれ育ち、現在もその地に暮らす40年来の故郷でもある監督です。異民族の人たちの住む町、様々な海外からの移住者がたむろする町、彼ら低所得者たちが仲間意識を持った街、日常暴力と犯罪が横行する町、麻薬と拳銃と殺人と貧困が身近かに横行する町・・・、ラジ・リ監督はそんな街の現実を見てほしい知って欲しいと訴えています。あるインタヴューで彼は、・・・「自分が住んでいる地区の現実をいろいろな人に見てもらって、そしてそれがまた人々の話題に上がることを望んでいました。そういう意味では、僕自身がこの映画に込めたメッセージというのも、フランスのみならず世界の人々に伝わったかなと思いますし、満足もしています。でも、実はこれで僕自身のメッセージというのは完結しているわけではなく、また次回作をと思っています。・・・」と語っています。
私は映画監督のメッセージは映画の初めと終わりに挿入されていると思っています。最後の最後のシーンでイッサが警官に向かって火炎瓶に火を付けて投げようとします。それに対して、警察官のステファンが拳銃で狙っていて、息を飲む対峙で終わっています。最後にスクリーンに流れたユゴーの『レ・ミゼラブル』の言葉を引用してました。やや、私の意識に刺さりました、「悪い草がある訳ではない、悪い人間が居るわけではない、それを育てる人間が悪いのだ。」・・・聖書の言葉なのかな?どなたか知ってる方が居れば教えてください。
私も次作のラジ・リ監督の作品を期待しています。考えて見ると、私たち日本も昔から北海道にアイヌ人が居たり、戦後は朝鮮半島から強制連行されてきた朝鮮人が居たり、昨今は日本の経済力に魅かれて中国人やタイヤ人やインド人などのアジア人がたくさん国内に住んで働いてます。日本も気がつくと多民族国家なんですーヨネ!!!
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