1月特選映画【3】映画のMIKATA「2016年邦画の総括№1」★映画をMITAKA | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

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都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

松方弘樹さんが悪性脳リンパ腫で死去しましたね。時代劇にもたくさん出演している松方弘樹さんのご冥福をお祈りいたします。





私が2016年に見逃した映画を急いでレンタルショップで借りて観賞いたしました。全部で10本まとめて観賞しまして、その感想コメントを掲載して、評価しました。合わせて、昨年ブログ編集後記で書いた時代劇について、私なりのコメントを掲載しました・・・。2016年の映画の私なりの総括と言えます。


その総括に関して、私は二つの問題とテーマを設定しました。①はどうして、邦画から「時代劇」の映画が無くなったのだろうか・・・というテーマであり、その問題を私なりに答えを見いだしたいなー、見つける必要があるーなと思いました。2016年の唯一の時代劇は『殿、利息でござる!』と『真田十勇士』でした。②は、2016年に見逃した映画、まあ…駄作は放っておいてもいいのだろうが、特に映画ファンたちが2016年の話題作として挙げているものは、自分なりに検証しておかないといけないな・・・と思いました。問題の解決策として、DVDによる後追いでも、自分なりに映画を観賞してみて評価を下しました。それは、★の数でランク付けしました。★★★が優秀作品、王冠1マークが名作傑作にあたります。

気が付いたら、今年はベストテンの中に「時代劇」がなかったですーネ。今までの「鞍馬天狗」や「新選組」や「忠臣蔵」や「遠山の金四郎」、市川雷蔵の「眠狂四郎」や大川橋蔵の「銭形平次」や東野英治郎の「水戸黄門」のような武家社会とチャンバラ時代劇から忘れられた懐かしい勧善懲悪の時代劇シーンの数々はもはや、昭和の懐かしの映画となってしまったのか…。それに対して現在は、例えば、『武士の家計簿』や『殿、利息でござる!』の原作者でよく知られている磯田道史の描く侍社会は、「お金」と経済が絡む、従来の時代劇ではスポットライトが当てられていなかった側面でした。それ故に、新しい視点で武家社会を描いた映画が新鮮になっていますーネ。ただね、時代劇の好きな私としては寂しい限りです…。寧ろ、チャンバラの時代劇をそのまま復活させたいということではないが、迫力のある大スペクタクルの大河時代劇も含めて、もっともっとチャンバラの傑作名作を復活させたいものですーネ。


昨年2015年の私のブログ≪第39回 日本アカデミー賞 「2015年に私が選んだ邦画ベスト10」 ≫を振り返ってもアニメの時代劇その他『駆込み女と駆出し男』『百日紅 Miss HOKUSAI 』…etcが数本挙げているだけです、侘しい限りです…。ただ、本格的な時代劇の少なさは例年通りで、2-3年遡っても数少ないです。因みに、2013年には『武士の献立』『清須会議』『許されざる者』2014年には『蜩ノ記』『柘榴坂の仇討』『るろうに剣心』…etcがありました。ただ、目立っていることは、原作が時代小説ではなくて、劇画・アニメの原作なのです。尚更に、時代劇の危機的状況を露呈しているのではないでしょうかーネ。昨今時代劇に限らずに、恋愛ものも、探偵ものも、その原作は人気のあったアニメが増えいます。だから、この傾向は映画そのものの生き残りの窮余の一作なのかーナ。純文学、人気小説からアニメへの原作移行は、現代人の心、若者の生活観を掴んで表現しているのは、劇画になったことなのだろうーナ…。単に活字離れであるだけかな。


時代劇がTVや映画から衰退した理由は何故なのだろうか…???下記春日太一の時代劇論「なぜ時代劇は滅びるのか」にその答えを探ってみました。





時代劇の大事件といえば、松下電器提供のナショナル劇場のTV時代劇の『水戸黄門』が2011年に放送終了になったことでしょうかーね。私も「水戸黄門」ファンの一人としては哀しい限りです。助さん格さんと光圀の三人旅で、最後に格さんが懐から葵の紋章のついた印籠を悪人たちの目の前におもむろに取り出し、「この印籠が目に入らぬか、こちらにおわすは先の副将軍、水戸光圀であらせます。控え、ひかえ」…と悪人たちの前に印籠をかざすと、エヘーと恐れ入る「ワンパターン」で幕を閉じる勧善懲悪の時代劇であった。それがいつもいつもお決まりのワンパターンの「この紋章が目に入らぬか…」と、終わるのが文きり型でつまらない…と言う人もいれば、反対に、その正義のご紋に大柄な二本差しの侍が平身低頭するワンパターンの結末に、一週間のストレスで詰っていた胸の鬱憤がスーとするという人も居ます。


私など、昔住んでいた街に映画館が二館もあり、そこでスクリーンに投影される時代劇のスターたちには、「大菩薩峠」の片岡千恵蔵、「赤穂浪士」の長谷川 一夫、「鞍馬天狗」の嵐寛寿郎、「銭形平次」の大川橋蔵、「眠狂四郎」の市川雷蔵、「大菩薩峠」の萬屋 錦之介たちが、刀を振り回していた時代劇全盛の時代であり、映画が娯楽の王様でした。この本によれば、1957年の映画館の入場者は10億人、国民か全員が年間10本以上の映画を見たことになるそうだ…。丁度、東京オリンピックが開催される1964年(昭和39年)の10月10日の開会式を家庭のテレビ受像機で見たくて、金持ちは勿論、貧乏家庭も家族団欒の中心に白黒テレビの前にこぞって座ってオリンピックを観戦した。テレビ時代の始まりの年でもある。と同時に、時代劇不振の時代の始まりでもあるようだ…。ここから急転直下時代劇の製作は、1960年代には168本、1962年には77本、1973年には年間45本にまで人気は低迷した。


娯楽としての映画そのものも低迷、テレビ時代になっても勿論テレビ画面の中には「時代劇」は生きていた。が、ストーリのワンパターン化と、時代劇の古臭さが「水戸黄門」の終了につながっていた。時代劇は古臭いが、尚それに魅かれ共感する視聴者の世代は、高齢者であり、テレビのスポンサーから商売にならないと番組提会社から敬遠された…。この視聴率低迷の裏には、視聴率の調査法が「世帯視聴率」から「個人視聴率」へと変わったことも、時代劇ファンが高齢者という数字と傾向を表面化させた…こともこの本で春日太一氏に指摘されています。


TV時代劇で私が自慢できることが一つあります。, 池波正太郎原作、゜中村吉右衛門主演の『鬼平犯科帳』は、第1シリーズから(1989年7月~)9シリーズ(~2001年5月)にフジテレビで放映されたロングランの時代劇で、それら以外に鬼平犯科帳スペシャル 、劇場版などがあり、シリーズ150本目で終了しました、で、ほとんどがDVDとしてリリースされています。私はそれらのほとんどをDVDで見ていることです。これは自慢にはならないか…ナ。昨年12月2日、3日の連日に、これぞ最後の締めくくりとしてプレミアム「鬼平犯科帳 THE FINAL」前編「五年目の客」後編「雲竜剣」が放映されました。京都太秦津のスタジオと、鬼平に長く携わってきた時代劇タッフたちが鬼平の思い出話と制作エピソードが、製作ドキュメント番組として放映されました。フジテレビとしては、大変な力の入れようでした。でも、池波正太郎にはもう一作、私にはお馴染みの秋山小兵衛(剣客)役に 藤田まことが演じる「剣客商売」がまだmada残っています。2010年に藤田まこと亡き後に、2015年9月に北大路欣也主演で、若い妻・おはる役に貫地谷しほり、道場主で同じ剣客の息子・大治郎役に斎藤工が演じる「剣客商売」が放映されました。スタッフは、脚本:金子成人、編成企画:羽鳥健一(フジテレビ)、企画:武田功(松竹)、プロデューサー:佐生哲雄(松竹)足立弘平(松竹)、監督:山下智彦でした。私は次の北大路欣也主演の新作「剣客商売」の放映を待っているのですが、なかなか制作されませんネ、視聴率がよくなかったかな…???スポンサーが引いたかな…???ベテランの脚本家に文句付けるようがないです…!!!


TV時代劇に関して、春日太一氏は、第3章では華のある時代劇の主役級俳優も、また主演を引き立てる脇役、特にいい悪者役がいなくなったという。その原因として、時代劇の脇役の供給源であった新劇には、もともと役者を志す若者たちが入った。が1980年代以降、小劇団や学生劇団に役者志望の若者たちが入るようになった。小沢栄太郎、東野英治郎、金子信夫、岡田映次、滝沢修などは新劇の名優であったし、佐藤慶、田中邦衛、細川俊之、寺田農、橋爪功などは新劇の名脇役であり、新劇の養成所出身であったという。今時、新劇などだれも見向きもしなくなりました、新宿コマや新橋演舞場へ、折づめ弁当を食べるのも楽しく、庶民の娯楽でした。


第4章では更に監督もいなくなったという。この本の中で一例として映画『最後の忠臣蔵』(2010年公開、池宮彰一郎原作)をとりあげています。私などこの年の日本アカデミー賞にノミネートしていた位に良い出来栄えの時代劇でした。p124…女優・桜庭ななみは、現場に入る数か月前から杉田成道監督に時代劇の芝居を徹底的に特訓されたことで、まだ十代の新人にもかかわらず主演の役所広司と堂々と渡り合ってみせた…。p127時代劇を制作する場合、スタッフの特殊技能や大がかりな装置、その他、必要となる知識や経験は現代劇よりはるかに多くなる。監督はその全てを理解した上で、自分ならではの時代劇世界を作り出さねばならない…という。私も最近この本を読んでレンタルショップの棚から借りてもう一度見ましたが、素晴らしい時代劇ですーネ。 ところが、映画界が斜陽産業となって、本来人材の育成機関であった撮影所のシステムが崩壊してしまって、時代劇を指導できる映画監督がいなくなったという。この本を読みながら、私はレンタルショップで、このDVDと藤沢周平原作の時代劇映画、山田洋次監督&脚本、「武士の一文」をもう一度見ました。ジャニーズの若いアイドル・木村拓哉が盲目の侍をどう演じているかな…?「技量不足」かな?…という興味があってーネ、じっくり見ました。やはり、監督がベテランでした。


もう一つ気になった昨今の時代劇の新しい傾向がもう一つあります。冒頭で、➀磯田道史の描く侍社会、「お金」と経済が絡む、従来の時代劇で等閑視されていた側面。②時代劇映画の原作が劇画・アニメを原作する作品が増えた。③明智道秀による織田信長襲撃と、信長の不自然な死、豊臣秀吉による政権交代…歴史的にまだはっきりわかってない「歴史の謎」にスポットを置き、推理時代劇、ミステリー仕立ての時代劇、SF時代劇のような作品が増えました。タイムスリップした小栗旬主演の『信長協奏曲』や近頃公開された時代劇、これも生き残りの窮余の一作かもしれませんが…、鈴木雅之監督の『本能寺ホテル』などはその一作です。山本謙一原作、利休役の海老蔵主演、田中光敏監督の『利休にたずねよなどもその部類かもしれません。殺陣のない茶の湯の世界を描いた時代劇なので、歌舞伎俳優・海老蔵は、歌舞伎舞台風のギコチナイの所作仕草セリフは目立つかな…とこれももう一度見ました。寧ろ、私は日本アカデミー賞にノミネートした位の出来栄えでした。しかし、先ごろ終えたテレビ東京の「石川五右衛門」あるいは、『真田十勇士』は、春日太一が指摘するように、歌舞伎の伝統的な様式を逆に丸ごと演出に取り入れてしまった。がしかし、却って中途半端な時代劇で面白くなかったです。歌舞伎の様式をp141…そのまま時代劇映画・テレビでやってしまうと「行き過ぎた作りこみ」としか映らず…歌舞伎独特のセリフ回しは特に違和感が強い市川雷蔵、萬屋錦之介、中村歌右衛門、片岡仁左衛門らは、≪いい時代≫の時代劇の現場でそうした癖を抜き、≪時代劇の芝居≫を見につけていった。…という。これは括目すべき批評ですーネ。


第5章ではそのうえ、p161…時代劇の魅力を研究して自由な発想で斬新な企画を立てるプロデューサーや、自ら数々の劇団や芸能事務所に顔を出し、無名の新人を抜擢してスターに育て上げていったプロデューサーたちがいたが、それが近年、いなくなった…という。結局、時代劇から、俳優も監督もプロデューサーもいなくなったのが、時代劇の滅びた顛末であった。

私には時代劇を理解する大変見応えのある新書でした。最近の私の時代劇消滅への疑問の一端がとけたような気がしました。


私はもう一つ時代劇「作家」の不在も加えたいです。山本周五郎や柴田錬三郎や池波正太郎や司馬遼太の時代小説も人気がありました。池波時代劇は特にされファンが多いです。その後、藤沢周平時代小説も次々に映画の原作になりました。その後は、浅田次郎や安倍龍太郎や池宮彰一郎、山本謙一や火阪雅志、最近では葉室麟…etcなどいい時代小説を書くなと感心しています。私など女流作家で、杉本章子や今井朝子や多田容子などは特徴がある時代小説なので、好んでよく読んでいます。ただ、時代劇の原作としてシリーズになる名作はありませんね。やはり人気役者と、それを演じるヒーロ侍が不在と言えます。 


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