«12»7月下旬の特選映画『渇き。』中島哲也監督★映画のMIKATA★映画をMITAKA… | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。



今日は69回目の終戦記念日です。テレビ放送は果たしてどんな映画やドキュメント番組を放映したのだろうかと、私はこの日のマスコミの視点と番組製作に特別関心があります。特に、8月15日前後のテレビは「戦争や平和」に関連したどんな番組や戦争映画や政治討論会や政権与党や野党の議員たちの参加した座談会などが放映されているのかー?チョット興味津々でした。8/15にNHKスペシャルで〚東京が戦場になった日〛、『戦後69年 いまニッポンの平和』、ETV特集で『戦闘配置されず~肢体不自由児たちの学童疎開~』があった。日本テレビ金曜ロードショーではクリンスト・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』があったー。それ以前に日テレは8/12同じイーストウッド監督の『父親たちの星条旗』の放映があった。フジテレビ金曜プレステージではスペシャルドラマ『命ある限り戦え、そして生き抜くんだ』、NEWS23はニュース番組のなかで連続取材として『69年目の終戦記念日、若者たちの戦争➆』を放映していた。終戦記念日前後では、NHKは更にいろいろなドキュメント番組を放映していました…。ちょうどこの8/15の深夜に、テレビ朝日の田原総一郎の討論番組「朝まで生テレビ」で米軍の辺野古基地移転を含めた沖縄米軍基地の問題を企画してほしかったな…!まだ日本の「戦後」は終わってないな…!と私は思ってます。


そう言えば、昨年も同じ終戦記念日前後にクリンスト・イーストウッド監督の映画を放映していたなー。私はそれに対して、例えば、井伏鱒二原作今村昌平監督作品の原爆映画『黒い雨』をどうして放映しないのかーと疑問を投げかけたと記憶してます。戦争を経験した日本人が多く亡くなり、戦争の残酷さを語れる日本人が少なくなり、高齢化社会が急速に進むと同時に、「昭和」から「平成」世代への交代が確実に始まっています。だから、古い戦争映画を放映することは、今戦争を知らない若者たちにとっては大切なことではないのか…!私は大岡昇平原作市川国監督作品の『野火』などは、もう一度見たい映画ですーね…。


私はradioの好きなラジオ人間なので昼も夜も四六時中ラジオを聞いています。もう既に亡くなった個性派俳優小沢昭一の、特におしゃべりの楽しい番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』のファンでした。懐かしさも手伝ってそのおしゃべりをCDに収めた放送収録版がリリースされているので、レンタルして丁度終戦記念日の前後に続けて聞いていました。戦中の流行歌を流しながら、戦争の悲哀を楽しく懐かしく、彼のイロニーたっぷりの語り口で戦争体験を語っています…。しかし、この小沢昭一の戦中体験を今の若者は、同じようにシミジミと聞くことができるのだろうかーな、と疑問にさえ思えました。ただ、この戦争体験のおしゃべりは、戦争に無残にも巻き込まれ、無念にも死んだ庶民の平和への声なき声を代弁でしていました。皆さんもぜひ一度聞いてみてください。


さて、7月下旬の特選映画をやっとアップロードします。でも今月は実は、以前にも書いたように電気工事の試験日程と重なって映画館で観賞した作品も収穫も少なかったです。特に書くこともないのにだらだらとブログに書いても仕方ないから今回はに省こうとも考えました。が、必要最小限に掲載したい映画が1本ありました。いや厳密にいえば2本かなー。1本目は、中島哲也監督の『渇き。』で、もう一本は日本より誕生した怪獣映画「ゴジラ」をハリウッドが製作した『GODZILLA ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督)でした。ただ、このリメイク版ゴジラ映画は次回に回して、今回コメントしないことにしました。


1本目で唯一の作品は、新人作家・深町秋生の小説「果てしなき渇き」を原作に、中島哲也監督が製作したものです。閃光のように映る断片的な映像がスパークし、堕落した不良刑事と家族崩壊のストーリが錯綜した時系列で挿入される『渇き。』は、今までの中島監督作品ー、例えば「嫌われ松子の一生」(2006年)、「パコと魔法の絵本」(2008年)、「告白」(2010年)などーにしては、チョット毛色の変わった映画でした。私の観賞している最中の第一印象は、敢えて絵画的に言うならば、これは映画表現の「キュービズム」か…と驚嘆しました。


私がまず映画を見ながら、突然今ニュースでとりあげられ、話題となっている事件、「またか…」と驚嘆され、「何が少女にあったのか…」と囁かれている長崎県佐世保の猟奇的殺人事件が思い浮かびました。皆さんはどう思いましたかー。怪奇で猟奇な殺人事件と三面記事の中にこそ、人間と社会の真実を含んでいる、更に、日本人監督は、この日本と世界の「時代性」をどう表現するのかーを映像作家の課題として追及している園子音監督の路線に近づいたのか…?でもないだろうーね。


7月26日、長崎県佐世保市の県立高校1年の女子生徒(15)が同級生の少女(16)を殺害した事件がありました。少女は被害生徒の後頭部を何度も殴り、ひもで首を絞めて手首を切断したという猟奇殺人事件でした。その後の事件捜査では、少女の一人住まいのマンションの冷蔵庫からは猫の死骸が発見されたそうです。少女の取り調べでは、「人を殺してみたかったー」というに告白もあったそうです。更に、多くの人は、2004年6月に6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで切り付け死亡させた佐世保小6女児同級生殺害事件を思い起こす筈です…。この映画は私に二つの少女殺人事件を連想させました。ただ単にそれだけのことなのですが…、でも、この少女の心の中と事件の「謎」を解く糸口がこの映画の中にあるような気がしました。


事件が発生した時に、ある心理学者は、古代の怨念信仰のように、死体が復活することを恐れたために首を切断したのではないかと解釈していました。少女の深層に古代の呪術のような「恐れ」が生まれたと言われれば、何か頷いてしまいます。昨今のホラー映画はほとんどこの死者の復活というパターンですね。2004年6月に同級生の女児にカッターナイフで切り付け死亡させた小6女児同級生殺害事件では、やはりある児童心理学者は、少女から大人に成長し成熟していく過程で、女性特有のホルモンが不安定で、生理のバランスが崩れている、少女から大人への過渡期独特の心理的不安定な時期の犯罪と解釈していました。確かにそんな分析も頷けてしまいます。


普通の温かい家庭の一人娘・加奈子(小松菜奈)が家出した。姿を消した娘の行方を追い掛ける元刑事で父親の藤島昭和(役所広司)は、チンピラや暴力団との交際、麻薬に手をだし友達を死に追いやる娘の乱れた行状を知る。中島哲也監督の『渇き。』では、もっと破廉恥な娘の行動が「謎」めいていました。市民社会の法と秩序と倫理の崩壊、市民社会の「箍」「シバリ」「規範」の崩壊として解釈しています。私は、ごく当たり前の解釈ですが、先進資本主義経済の中で、国家の中の家族、家族の中の一夫一婦制の男女の夫婦関係、家族の中の男と女と子供の永遠の家族関係、一つの家族は、再び新しい家族を構成し、子供を産み子供はまた大人になり…。男は働き女は家庭を守るー。この市民社会のシステムのある部分はすでに古い制度として変質し形骸化しています。が、現実の人間の欲望と経済にフィットした新しい形態を持たないまま、矛盾だけが露呈している「市民社会」の国家ー市民-個人の社会システムと経済と社会制度は、それぞれの矛盾を含みながら軋んでいるのではないのだろうか…。私は、この市民社会の先の家族と社会の姿の見える映画を見てみたいと思いました…が。