7月の特選映画をアップロードします。私の選んだ今月の1本は「風たちぬ」(監督・ 原作・ 脚本-宮崎駿 )です。うーん、この宮崎アニメもやはり、アニメ部門だけではなく、邦画全体の中でも日本アカデミー賞候補かなと思いました。私も公開翌日の21日、夕方なのでそろそろ空いて来たーカナと映画館に行きました。公開前から力の入った映画宣伝が頻繁にテレビで゜放映され、満をジシテ子供たちが夏休みに入る7月20日に公開されたので、これは観客で賑わい、評判の人気アニメになるぞーと予測していましたが、思ったとおり劇場は、日曜日の夜ではありましたが満席でした。子供向きアニメというよりも、館内を見回すと、子供たちよりも寧ろ「大人」が大多数でした…。「風たちぬ」は、大人の見るアニメでした。
零戦戦闘機の開発者である堀越二郎の声を、『エヴァンゲリオン』シリーズで監督を努めたスタジオジブリのスタッフの一人「庵野秀明」が主役声優として、宮崎駿好みの声として白羽の矢がたったー。この声優の選考過程は作品公開日に、ドキュメンタリー風にテレビで放映されていました。声優の作られたわざとらしい声質では、主人公のイメージがわかないーと執拗にダメが出された。納得のゆかない監督の紆余曲折が、計算された話題性の演出とさえ私は感じましたー。全くの素人の「声」がー、その誠実さそのものの純朴さが、主役・堀越二郎にピッタリと、鶴の一声で異例中の大抜擢されていました。夢を抱いた飛行機設計の天才的なエンジュニアであり、結核を患った美しい娘を愛した白馬の王子様の朴訥な人柄にピッタリだと、成るほどと私も思いました。
私もどんなアニメなのか関心があったので、監督の情熱の源泉が知りたくくて「文藝春秋」に掲載された宮崎駿と;半藤一利との対談を事前に読みました。その対談の中で「風たちぬ」の作品評価として半藤一利は、≪宮崎版昭和史≫と表現していました。大正から昭和にかけての日本は、さまざまな事件や国際紛争や、世界規模での変転や不景気による世界恐慌などが国民を襲いました。いわば歴史の激動期です。日本人の心は閉塞感の雰囲気に覆われていました。物語は、宮崎駿と;半藤一利たち両親が生きた時代であり、彼らの子ども時代の体験でもありました。激動の昭和史の中で、私たちはどのように生きたか、の証言のようなものではないでしょうか…。
堀辰雄が小説『風たちぬ』を書き始めたのが昭和12年(1937年)、堀越二郎がゼロ戦の開発を始めたのが昭和12年だそうです。映画の背景は、太平洋戦争前後の動乱期そのものを描いている。と同時に、宮崎駿や日本人が懸命に生きた「昭和」を、激動の時代に重ねている。つまり、個人が「危機」に遭遇しながらも生きようとする生命力の燃焼と回復を描き、愛するものを失う個人の「危機」に消沈しながらも、夢の実現のために命を「夢」に託して命を燃やすー、昭和に重ねています。それは恰も、堀辰雄の『風たちぬ』やトーマス?マンの『魔の山』の文学テーマのようでもあります…。
私にはさらに、もう一つの視点が見えてきます。戦闘機「ゼロ戦」を開発設計した、いわば歴史の当事者・堀越二郎を描くことで、美しい飛行機をつくりたい…という個人の夢が歴史に裏切られる悲劇です。いや、寧ろ今この時代は、日本の戦後の平和と安穏さを再び崩壊させそうだーという、現在の「危機」意識を表現しているのかもしれません…ね。例えば今、技術の領域で最もエポックメーキングな焦点は、「原子力発電」ではないでしょうか…。エネルギー供給手段として「原子炉」を廃棄するのかどうかー、「原子力発電」は人類と地球に危機をもたらす人類滅亡の技術なのかーという問題は、一方で人間が蓋を開いた「プロメテウスの箱」を、人類の手で再び箱の蓋を閉じろという意見があると同時に、人類にとっての夢のエネルギーである「原子力」は、技術開発の先に安全でクリーンなエネルギーに改善できるーという:原始力開発推進派のエンジュニアもいます。タダ忘れてならないのは、オットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンが初めて「核分裂反応」を発見して以来、それはかって「原子爆弾」として戦争に利用され、世界で初めてのそ;の被爆国が日本であるということです…!エンジュニアや科学者の「夢」は、時として現実の政治に裏切られ、歴史に翻弄されます。
戦争を知らない世代ばかりの日本で、戦争を語ることは必要ですね…。ただし、「戦争」の何を語り伝えるのかーです。私は、二つの視点でこの映画を観ました。戦争の悲惨さと残忍さを語り伝うることは勿論です。その上で、戦争という個人を絶望に突き落とす「危機」に対して、私たちはどのように自分らしく誠実に生きられるのか…。もう一つは、個人を翻弄する歴史の危機に立ち向えるのは、再び現実の危機を乗り越えようとする科学者やエンジニア達のさらに大きい情熱的な「夢」ではないだろうか…。 この二つの視点でこの映画を観たとき、どうしても宮崎駿監督に詰問したいことが一つだけあります。何故、宮崎版昭和史の中には、1945年の広島と長崎の原子爆弾投下の悲劇が描かれていないのでしょうか…?このことは、半藤一利も対談で触れていなかったですねー。もし彼に、昭和の歴史を語る矜持と「良心」があるならばこの次のアニメ映画では、原爆投下の悲惨を体験した日本と日本人を描いて欲しいと思います…。