「七人の侍」★映画のMIKATA【32】 黒澤明監督★映画をMITAKA… | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

◆スタッフ
監督:黒澤 明/脚本:黒澤 明、橋本 忍、小国英雄/撮影:中井朝一/美術:松山 崇/録音:矢野口文雄/照明:森 弘充/音楽:早坂文雄/製作:本木荘二郎/監督助手: 堀川弘通/制作担当者:根津博/

◆キャスト

三船敏郎:菊千代/志村喬:勘兵衛/津島恵子:志乃/島崎雪子:利吉の女房/藤原釜足:志乃の父 万造/加東大介:七郎次/木村功:勝四郎/千秋実:平八/宮口精二:久蔵/小杉義男:茂助/左卜全:与平/稲葉義男:五郎兵衛/土屋嘉男:利吉/高堂国典:村の長老 儀助/熊谷二良:儀作の息子/登山晴子:儀作の息子の嫁/東野英治郎:盗人/上田吉二郎:斥候A/多々良純:人足A/渡辺篤:饅頭売/小川虎之助:豪農家の祖父 /山形勲:鉄扇の浪人/


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時代劇の課題だった「鬼平犯科帳」のベストテンを一応終了したので、また新しい時代劇の課題を作りました。念願だった『黒澤明監督の、時代劇ベスト5』をスタートいたします。黒澤監督全30作品の中で、時代劇は古い年代順に挙げますと)、『虎の尾を踏む男達』()『羅生門』()『七人の侍』()『蜘蛛巣城』()『隠し砦の三悪人』()『用心棒』()『椿三十郎』()『赤ひげ』()『影武者』()『乱』の10作品です。ここから5本を絞るとすれば言わずもがな、』『羅生門』『七人の侍』『椿三十郎』『赤ひげ』『影武者』あたりに落ち着くでしょうか…。『乱』をこの中に入れなくては大きな失態だという人も居るでしょうー。『姿三四郎』も時代劇の範疇に入れても良いのではないかーと、早速疑問を投げかける映画オタクもいるでしょう。映画ファンには何故、時代劇以外の作品、例えば、『生きる』や『天国と地獄』や『まあだだよ』等をブログの対象にしないのかと、憤懣をぶつける人も居るでしょう。それはそれ、まあ映画好きの映画ブログごときに、そこまで深くのめり込む訳には行かないでしょうー。


都筑政昭氏の著書『黒澤明「一作一生」全三十作品』を参考にさせていただきました。個別作品から黒澤映画の全貌を俯瞰するためには、好都合の解説と紹介の参考書でした。勿論、黒澤映画に関った映画現場のさまざまな回想エッセイや、映画史や映像文化や社会科学の中で黒澤作品を位置づけようとする映画評論等は、これまでごまんとあり、黒澤研究の蓄積は膨大なものがあります。「そんなもの知らんよー」と全てを無視するものでもなく、ねじり鉢巻で重箱のすみの米粒を箸で拾うように全てを参考にさせていただき、比較検討するというのでもなくてー、それはそれ、映画好きの映画ブログごときもので。黒澤映画の「黒澤明監督学」を構築しようとする訳ではないので、そこまで深くのめり込む必要もないでしょう。可能な限り参考にさせていただきましたー。


さて、第一回目なので肩肘はらずに気楽に書きたいと思います。まずは、昨今のニュース現場から…。


民主党仙谷官房長官が自衛隊を「暴力装置」と呼称したことで、野党・自民党が問責決議案を提出するとかしないだとか、2010年度補正予算案の採決と成立が遅れるだの何だのと、またもや公明党が表舞台にしゃしゃり出て、国会が揉めに揉めています。物議の元は、元東大全共闘運動の闘志だった仙谷官房長官が、自衛隊=暴力装置と規定したことにあります。政治の中枢にいながら、自衛隊は部下ではないのかー、と非難されています。軍事行為を「暴力」と呼んだ事に対して、私は些か不満です。自衛隊は、たとえ危篤の民間人が生死の堺をさ迷っていて、人命救助のためにヘリコプターを出動させようともー、たとえ災害救助で暴風の中で隊員が土嚢を積もうとも、たとえ平和と国際支援のため、弾丸の飛び交う海外へ戦艦で出航しようとも、たとえ「専守防衛」を掲げようとも、命令一つで国家利益のため軍事的鎮圧-破壊行為をする、自衛隊は大量殺戮も辞さない武装集団です…とでも規定してほしかったです。


米国とソ蓮の冷戦時代に、もしも共産主義が軍事攻撃と侵略した時に、資本主義諸国は、民主主義を守るためどのように防衛するのかー、という想定の元に核ミサイルや戦闘機や戦艦やロット砲等の軍事力を拡大してきました。仮想敵国・仮想侵略の元に戦争ゲームのように被害妄想の軍拡を増大してきました。詮ずる所日本も、米国の軍産複合性の利益誘導の罠にかかって、よいお得意さんになったようなものです。


自衛隊の持つ武器は、国家と国民を守る「専守防衛」のためであり、他国を軍事的に侵略する「軍隊」ではないーと弁解しながら、憲法9条の「戦争放棄」の解釈をのらりくらりと欺き、アメリカの兵器産業からどんどん兵器を買って、国内の軍事基地へ配備させ、軍事拡大を誤魔化してきました。旧与党の自民党のつけが昨今、回りまわって民主党に突きつけられています。沖縄の米軍基地撤退も然り、尖閣列島の海底埋蔵資源の獲得に目がくらんだ中国との領有権問題も然り、北朝鮮と韓国との国境線を巡る一触即発の緊迫した戦闘状態に、アメリカが原子力空母を参加させるー、日米安保条約を締結している日本の立場はどうなるのかー。


さてさてまたもや悪い癖で回り道をしました。「七人の侍」のために何故、自衛隊の話題を持ち出したかといえば、自衛隊が、映画の中の指揮官の侍・勘兵衛の、村の襲撃から村人を守り、殺戮をくり返す野党を撃退するためにとった「戦略」に関心を持ったからです。


映画を比較文化論の研究テーマとして教えている、私が畏敬する大学教授の四方田犬彦氏が、「『七人の侍』と現代ー黒澤明再考」(岩浪新書)でこう書いています。


…勘兵衛が実践の場にあってきわめて優れた作戦家であり、侍と百姓を統率して一歩も引かぬ度量の持ち主であることは指摘しておかなければならない。…『七人の侍』には随所に彼の優秀な指導者ぶりを示す場面が存在する。…現実の戦闘にあっては、周囲に防御を固めるものの、おえて一箇所だけ無防備な場所を残しておく、

なぜそのような無茶なことをするのか。実は敵の数を一人ずつ気長に減らしてゆくと、そのうちに彼らは焦燥感に駆られて総力戦に切り替えてくる。敵が無防備な一箇所から侵入しようとするとき、その瞬間を狙って一網打尽にするというのが、こちら側の作戦なのである。…陸上自衛隊から真面目に出典の問い合わせがあったという…発足したばかりの自衛隊の幕僚幹部たちが、このフィルムを防備と攻撃という戦略のテクストとして検討していた…


念のため簡単なストーリをご紹介しておきます。


麦の刈入れが終わる頃に、農村では野武士たちの襲来を前に恐怖におののいていました。若い百姓の利吉が野武士と戦うことを主張、百姓が闘っても勝ち目はないが、長老の儀作は飢えた侍を雇って村を守ることを思い立つ。


利吉、茂助、万造、与平の四人は浪人を集めるために町に出る。合戦の落ち落ち武者・勘兵衛の腕と機転に目をつけ、食物を報酬に村の防衛を依頼する。四十騎余りの野党と戦うには、少なくても七人の侍が必要と作戦をめぐらした勘兵衛は、食うことにも窮する浪人集めを始める。腕試しで五郎兵衛を雇い、勘兵衛の部下であった七郎次を再び従がわせ、陽気な人柄の平八、真剣で決闘する剣の達人・久蔵、勘兵衛を師と仰ぐ若侍・勝四郎、浪人崩れの怪しい侍・菊千代…と、浪人七人が村へ向かう。


百姓たちは村の要塞化の普請を始める。百姓たちも戦いの戦術と武術を鍛え上げられる。盗賊と化した野武士の一団は、柵と堀によって侵入は防がれる。柵や堀を越えて侵入を果たそうとする野武士を侍と百姓は協力して次々に仕留める。勘兵衛の策は功を奏し、野武士は次第にその数を減らし、豪雨が降りしきる中で残る十三騎との決戦が始まる。生き残ったのは勘兵衛、勝四郎、七次郎の三人の侍たちだけであった…。死んだ侍たちの土饅頭を見ながら、勘兵衛は吹きすぎる6月の風を体にうけて、村を守ることには成功したものの、「この戦……やはり負け戦だったな」「いや……勝ったのは……あの百姓達だ……俺達ではない」「侍はな……この風のように、この大地の上を吹き捲って通り過ぎるだけだ……土は……何時までも残る……あの百姓達も土と一緒に何時までも生きる!」と、田んぼで働く百姓達を見て呟く。(岩波書店「黒澤明全集第4巻」脚本より引用させていただきました。)

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