「鬼平犯科帳-麻布一本松」★映画のMIKATA【11】監督★映画をMITAKA… | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

◆スタッフ
原作:池波正太郎(文春文庫刊)/企画:市川久夫・鈴木哲夫/脚本:金子成人/
音楽:津島利章/監督:加藤幹也/プロデューサー:能村庸一・佐生哲雄/撮影:伊佐山厳/照明:中山利夫/美術:倉橋利韶./録音:中路豊隆/編集:園井弘一/殺陣:宇仁貫三/

◆キャスト
中村吉右衛門/多岐川裕美/尾美としのり/真田健一郎/江戸家猫八
ゲスト:村田雄浩(市口又十郎)/水島かおり(お弓)/
◆フィルムデータ

放送・制作年 1992年
上映時間 47分


流石埜魚水の阿呆船、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・



刀を持った優しい武士の「素顔」を主人公にした男たちの物語が「鬼平犯科帳」にはたくさん登場します。


このブログの「鬼平犯科帳-泣き味噌屋」映画のMIKATA【6】高瀬昌弘監督映画をMITAKAで既に掲載しましたが、刀を捨てた算盤商人、泣き虫弱虫の武士・川村弥助を演じている平田満の魅力を書きました。


「鬼平犯科帳」ではその他にも、武ばって威張りくさった侍、或いは、刀を差して庶民を虐める侍のイメージとは180度逆転した武士達がたくさん登場します。


例えば、深川の味噌問屋<佐野倉>の用心棒をしていた高木軍兵衛がいました。ジョニー大倉が、侍の「用心棒」(高瀬昌弘監督)のくせに刀を抜いても弱腰で、喧嘩と剣術におどおどする、ちょっと軽くて可笑しい雰囲気を見事に演じていました。


例えば、「むっつり十蔵」(富永卓二監督)では、紙問屋の大和屋一家を皆殺にして逃げている、賊の太平一味の助次郎を探索している小野十蔵がいたました。彼は、盗賊の人妻で、しかも身重のおふじに淡い恋心を抱き、最後に遺書を残して慙愧の切腹をしてしまう。いつも無口でむっつりしている侍、女に優しく風采のあがらない火付盗賊改めの同心、ぼんやり暗く行灯のような風貌を柄本明が演じていました。


例えば、「鬼平犯科帳」シリーズでは鬼平の相棒のように<火付け盗賊改め>の探索や賊の捕縛を手助けする、謂わば半レギュラーのように登場する井関録之助がいました。彼は平蔵と同じ高杉道場の門下生の剣客であり、剣術修行をした旗本の倅であり、若き日の鬼平の無頼仲間でもありました。が、今では零落した武士のなれの果てで、乞食のように神社の縁をねぐらとする勝手気ままな「托鉢無宿」(大洲斎監督)に身をやつしていました。二本差しは捨てたが、腕はめっぽう強く、野性味の横溢する托鉢僧を夏八木勲が演じていました。彼は、士農工商の社会秩序から完全にドロップアウトして、各地を托鉢しながら放浪する自由人でした。


そして、麻布一本杉」(加藤幹也監督、金子成人脚本)では、強くて優しい独身の剣術家の市口又十郎が登場しています。惚れている女に好きだといえずにもじもじためらっている女々しい侍、朴訥で武骨で朴念仁の剣術家・市口又十郎を村田雄浩が好演していました。


侍が腰に差している「刀」は、なにも農民や商人を無闇矢鱈にバタバタと斬り殺す人斬り包丁ではありません。侍が腰に差している二本差しの「刀」は、特に士農工商の階級秩序が整った幕藩体制下では、武士の支配と威光を象徴する王権のシンボルでした。重たい「刀」を差し、キラリと光る「刀」を抜くことで、時代劇によく登場する闇討ち辻斬りの凶暴な武士やバカ若様のように、刃向ったら斬り殺すぞ…という恫喝の小道具ではなくて、お江戸を支配する王権を象徴する「冠」や、村長の手が握る杖のような集団の「長」のシンボルでした。「刀」は支配者としての「武士」の不動の地位と威光をひろしめすヒエラルキーの小道具なのです。


『「鬼平犯科帳」お愉しみ読本』(文春文庫)で、武道家の志木嶋大和氏が、物語りで鬼平が抜刀する「刀」を検証しています。これは興味深いエッセイです。それによると鬼平が腰に差している刀は十振りで、井上新改(二尺三寸余)、粟田口国綱(二尺二寸九分)、河内国国助(二尺三寸五分)、和泉神守国貞(二尺三寸五分)、相州綱広(二尺三寸四分)、近江守助直(二尺四寸余)、加賀守貞則(二尺五寸一分)、備前兼光(脇差)、近江守久道(脇差)、宇多国宗(脇差)ーを挙げています。その中でも「粟田口国綱」は、鬼平の好んだ刀で、この刀でしばしば盗賊を斬り捨てています。首切り朝右衛門の試し切りの書、『壊宝剣尺』でも切れ味を補償されている業物だそうです。


「鬼平犯科帳」に登場する「泣き味噌屋」の同心川村弥助も、「用心棒」の高木軍兵衛も、慙愧の切腹をした同心「小野十蔵」も、「托鉢無宿」の井関録之助も、そして、「麻布一本杉」の剣術家市口又十郎も、みんな武士の属性である「刀」を捨てた幕藩体制のマージナル・マンたちでした。


時代劇の面白さと、登場人物の魅力は、武士の社会を描きながらも、司馬遼太郎にしても、藤沢周平にしても、池波正太郎にしても、幕藩体制の綻びから顔を覗かした優しい侍たち、江戸ご支配から遠く離れた境界の藩にいる侍たちの苦しい心の襞を描いているところにあります。


私たちは、山本周五郎の下級武士たちや、池波正太郎の「鬼平犯科帳」等や、浅田次郎の「壬生義士伝」等や、藤沢周平の「たそがれ清兵衛」等を見ながら、現代人のサラリーマンたちの生き様をー、巨大企業の管理組織や、中小零細の経営者の資金繰りや、同僚と不倫に陥り家庭を崩壊させる男たちの悲しい「性」を、それらと重ね合わせながら見ているのではないでしょうか…。そこに時代劇のストーリ展開の面白さと、江戸の世に生きる侍たちの魅力があるのです。

さて、「麻布一本杉」のストーリは…。

新しい年が明けた1月中旬のある日のこと、木村忠吾は、着流しで太刀一つを落としざしにした浪人姿に変装して麻布あたりの市中見回りをしていました。しかしながら、お見廻りの区域を、なじみ深い上野・浅草や本所・深川から麻布方面に変えられました。しかも四谷の組屋敷には忠吾の妻・おたかがいつも待っていた。「いつまでたっても同じ顔、同じ躰だものなあ…」と、浮気心をくすぶらせていたので、なお更にむしゃくしゃしていた。「おもしろくない」と、道端の小石を蹴ったところ、これが前からきた浪人の向う脛に当った。見るからに屈強な面構えの浪人は、「何をするか!!」「おのれ!!」と叫んだ…。が、忠吾は詫びるどころか、大刀の柄へ手をかけた浪人の近くへ躍り込んで股間を蹴り上げた。


その浪人が「うわ…」と呻いて蹲っている間に、早くも忠吾は裾をまくり下駄を脱いで逃げだしていた。その場所は長善寺近くの<麻布の一本松>と呼ばれる辺りで、その浪人は剣客の市口又十郎(村田雄浩)であった。


この揉め事から四日後の午後に、忠吾が一本松の茶屋へ入った時に、腰掛けていた女・お弓(水島かおり)が、「もし…」と声をかけてきました。女は、「あの嫌な浪人をやっつけて下さいまして…胸がすっといたしました。」と、市口に嫌がらせを受けた顛末を話して、忠吾に礼を言い、いい寄ってきた。そして、忠吾は「木村平蔵」と偽名を名乗り、二人は三日後にこの茶店で再会する約束をするのだったが…。


お弓は市口の道場近くに住み、もう八十才に近い草履問屋の隠居で田丸屋瀬兵衛の身の回りの世話をする女だった。市口と田丸屋の隠居は碁敵で、お弓とも親しく口をききあう仲で、お互いに惚れあってもいた。市口の失態を見てしまったお弓は、「明後日、きっと、やって来ますよ。一本松の茶屋へ」と、忠吾に仕返しを仕かけたのであった…。


池波正太郎の原作よりも、金子成人の脚本は、剣術道場主の市口又十郎(村田雄浩)の風貌を、より武骨で滑稽に描いていて、木村忠吾とお弓と市口の絡み合いが一層おもしろいストーリ展開となっています。