◆キャスト
緒形拳?・ 桂一雄/いしだあゆみ・ ヨリ子/原田美枝子・ 矢島恵子/松坂慶子 ・葉子/利根川龍二・ 一郎/一柳信之 ・次郎/大熊敏志・ 弥太/谷本小代子・ 信子/浅見美那・ 滝/檀ふみ ・桂一雄の母/石橋蓮司・ 桂一雄の父/伊勢将人 ・一雄の幼少期/宮城幸生・ 刑事/蟹江敬三・ 主任/野口貴史・ 幹事/相馬剛三・ 医師/下元勉・ 病院の主事/井川比佐志・ 壷野/荒井注 ・苅田/下絛アトム・ 中島/山谷初男 ・葉子の養父/宮内順子 ・葉子の養母/真田広之 ・中原中也/岡田裕介 ・太宰治/
◆スタッフ
監督: 深作欣二 /プロデューサー: 豊島泉/中山正久/企画: 高岩淡。佐藤雅夫/原作: 檀一雄『火宅の人』/脚本: 神波史男。深作欣二/撮影: 木村大作/美術: 佐野義和。秋吉泰海/編集: 市田勇/音楽: 井上堯之/助監督: 藤原敏之/
今回「特選映画」に緒形拳主演の映画「火宅の人」を取上げます。一面どすの利いたヤクザを演じ、一面善良なあぞび人を飄々と演じ、他面子煩悩な「父」を演じられる彼のような多面的な俳優がいなくなったな、という嘆きとノルタルジーですかね…。あーもう一人、奥田英二もいたかー。日常生活を捨てて、旅の空に漂白し、女に惑溺し、知らない風土を棲みかとする放浪の檀一雄の生き様に、私たちは男の自由な姿を憧れるのかもしれません…! 「日常」は安住ではあるが、牢獄でもあります…。
『火宅の人』は、檀一雄著の私小説で、1975年に新潮社より刊行されました。第27回読売文学賞小説賞、第8回日本文学大賞受賞。1979年にテレビドラマ化、1986年に東映で映画化されました。「火宅」とは仏教説話の用語で、「燃盛る家のように苦悩に包まれた所」の意味で、勿論、私も好きな小説の一冊です。
これまでも、谷崎純一郎、永井荷風、井上靖、太宰治、五木寛之、近頃では伊坂幸太郎、吉田修一等々の小説が、映画化されてます。最近、太宰治生誕100年』を記念して、太宰を主人公とした映画「人間失格」(2009年、荒戸源次郎監督)「斜陽」(2009年、秋原正俊監督)「ヴィヨンの妻」(2009年、根岸吉太郎監督)が映画化されましたが、ただ、私小説の場合作家が映画に登場するので、誰を主人公の作家にするか…俳優の人選が難しいです。私は小説家が登場する映画の中でこの「火宅の人」が一番出来映えがいいのではないかと思います。
緒形拳=檀一雄fは、はまり役だったでしょう。苦悩を抱えながらも自由奔放に生きた放浪の作家・壇一雄の自伝的小説を「軍旗はためく下に」「仁義なき戦い」「蒲田行進曲」の深作欣二監督が映画化しました。1986年の日本アカデミー賞では、作品賞をはじめ7部門…、主演男優賞に緒形拳、主演女優賞にいしだあゆみ、助演女優賞に原田美枝子等々の、華やかで個性的な俳優たちが揃って受賞しました。
ストーリはこうです。作家、檀一雄は、最初の妻リツ子に死なれ、後妻としてヨリ子(いしだあゆみ)をもらった。ヨリ子は腹ちがいの一郎をはじめ、次郎、弥太、フミ子、サト子と5人の子供を育ててきた。8年前の秋、矢島恵子が訪ねて来て以来、その魅力に心引かれていました。
昭和31年、夏が近づき、不吉な予感に動かされるように一雄は恵子を旅に誘ったのだった。だが、一雄は家族をかけがえのないものと思って居たのだが、自らそれを破った一雄は、流転の渦中へと流れ込んでいく。
一雄は新劇女優、矢島恵子(原田美枝子)と不倫旅行のため青森行きの列車に乗る。太宰治の文学碑の除幕式に参列する際に、恵子を誘ってしまったのだ。
26年に「長恨歌」で直木賞を受けた一雄。一昨年の夏は、奥秩父で落石に遭い助骨3本を骨折。昨年の夏は、次郎が日本脳炎にかかり、言葉も手足も麻痺してしまう。以来、ヨリ子は怪しげな宗教の力にすがるようになっていました。
一雄の記憶には、40年前に母(檀ふみ)が、神経衰弱の父(石橋蓮司)と幼い妹二人を残して、年下の大学生と駆けおちした情景が残っていた。青森から帰った一雄から、青森旅行のことを打ち明けられたヨリ子は、翌日家出した。一週間すぎても連絡はない。一雄は若々しい恵子との情事のとりこになっていった。しかし、ある嵐の夜、ヨリ子は一生、次郎と子供たちのために生きる覚悟を決めたと戻ってきた。一雄は新劇女優の恵子の虜になり、入れ替わりに一雄は家を出、浅草の小さなアパートで恵子と新しい生活をはじめました。
恵子が妊娠した。堕胎を決意した彼女は、一雄に同行を求めるが、そんな余裕のない彼は、その夜、派手な喧嘩をした。逃げるように東京を離れた一雄は、五島列島行の連絡船にとび乗った。彼はそこで、葉子(松坂慶子)に再会した。義父に犯された暗い過去を持つ彼女は、里帰りしたのだった。葉子は、あてのない一雄の旅の道連れとなったが、クリスマスの夜、求婚されていた華僑への返事を、これ以上のばせないと一人で旅立って行った。東京へ戻り、久々に正月を家族と過ごすことになった一雄のもとに、次郎の死が知らされる。次郎の葬儀の日、恵子から一雄の荷物が届けられました。
緒形拳が演じる 作家・檀一雄の生き様は、男臭く誠実なイメージを発散しているものの、今流のダンディーで格好もよくもないし、バリバリと働きガバガバと金を儲けるやり手の実業家でもない…、放浪癖のある自由奔放で女好きな助べえな「男」である。今流の白皙の端正なマスクで、しょうゆ顔の美男子でもない…。では、深作監督は「何を」描こうとしたのか…?
私は、一雄の周辺に居て一雄を支えた「母」ヨリ子の強さ、いや葉子のような「女」のしたたかな強さを一方で描き、他方で、奔放磊落でいつも性の煩悩に揺れる一雄を支える女たちがいながら、それでも、「煩悩」の止む時が無く、安らぎを得ない「火宅」の男の「性」を描こうとしたのではないだろうか…。
緒形拳と松坂慶子とのセックスシーンを風景や絵馬とのモンタージュで描く映像手法を、監督と山根貞男との対談本『映画監督 深作欣二』(ワイズ出版)でこう言ってます。…一つのモチーフとしては弾一雄も触れてましたけれど、やっちぱり芭蕉ですうね。芭蕉の旅のイメージというのはかなり強いインパクトであって…旅のイメージだけでも芭蕉を拝借して…と、言ってます。日常生活を捨てて、旅の空に女と放浪する一雄に、私たちは男の自由な姿を憧れるのかもしれません…!