★映画のMIKATA⑬滝田洋二郎監督「バッテリー」★映画をMITAKA・・・ | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。



流石埜魚水の阿呆船-バッテリー




WBCが終わって、興奮覚めやらぬ昨今ですが、プロ野球は、セ、パ両リーグが4月3日同時に開幕され、各地でベナンとレースの熱戦の火ぶたが切られました。


開幕戦では、WBCの熱戦で日本代表として共に活躍した楽天の岩隈と、日本ハムのダルビッシュの投手ぶりと、原巨人の3連覇を賭けた采配が注目されていました。二人のマウンド対決の一戦は、岩隈が投げ勝ち、セリーグの巨人・原辰則監督は、巨人3-6広島(東京ドーム)で、広島に敗れてしまった。イチローも眩暈による健康不良、体調不良による欠場が危惧されています。原巨人軍もWBC後の疲れが出てきたのか?…


春の甲子園も熱闘が続いて、第81回選抜高校野球大会は、長崎県・清峰高校が、甲子園初優勝を飾りました。プロ野球も開幕した今、「野球」に釘付けになり、「野球」が面白い季節と言えましょうか…。「ナチュラル」に続いてもう一度、野球の映画を紹介します。


映画の中には意外と、野球ばかりでなく、サッカー、ラクビー、マラソン、バレーボール、ソフトボール、テニス、バスケット、水泳、スキー…。格闘技の柔道、ボクシング、相撲、空手、レスリング、K-1…等の≪スポーツ映画≫の名画がたくさんあります。季節ごとに注目のスポーツ映画を、そのつど話題にとり上げたいと思っています。



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今回話題にするのは、「おくりびと」でオスカーを獲得した滝田洋二郎監督の「バッテリー」。原作はあさのあつこの1000万部を超える児童文学のベストセラー小説「バッテリー」、脚本は森下直 です。


主人公の原田巧に、3000人のオーディションから選ばれた新人アイドルの林遣都。この春、病弱な弟の青波(鎗田晟裕)の静養のために、岡山県の地方都市、空気の新鮮な祖父(菅原文太)の居る故郷・新田市に引っ越してきた。巧は、幼い頃から白球を母親の温もりのようにいつも握りしめて育った孤独な少年。少年野球で才能を発揮していた、剛速球をビュンビュン投げ込む天才ピッチャー。だが、祖父は、甲子園出場校の有名監督だったため、巧みの野球の才能と限界をよく見抜いていた。新田東中学一年に入学、早速野球部に入部する。巧とバッテリーを組むのが、同級生の永倉豪(山田健太)。入部した新田東中学の野球部は、巧たちの思っている野球とは違っていた。巧は、高校時代に祖父の下で甲子園を目指して野球選手だった監督(萩原聖人)と衝突する。やがて、巧と豪の間にも不協和音が…。巧みの母親に天海祐希、父親に岸谷五朗が演じる。


名監督だった祖父は、新田東中学野球部の監督に、「野球って何なのだろうかな…」と呟く。巧の野球は孤独の証、辛くて悲しいもの…という。青波の入院する病院のベットの傍らで、会社の野球部で生まれて初めて野球を始めた父は、こう語る。…巧にとつての野球は祈りだ、生まれつき体の弱い弟、弟の代わりに、弟の大好きな野球を必死に続けている…野球って、気持ちを伝えるスポーツなんだ、自分の気持ちを仲間に伝えたい、仲間の気持ちをもっと知りたい…と、いう


巨人軍から大リーガーへ移籍、さらにプロ野球を引退後に早稲田の大学院に入学したPL学園出身の桑田真澄投手も、ナニワノ番町清原和博も、東北高校出身のダルビッシュ有投手も、堀越高校出身の岩隈 久志投手も、駒大苫小牧高校の田中将大投手も、プロ野球の現役選手や引退選手も、ほとんどが甲子園のグランドで活躍して、観客を沸かせた選手たちです。甲子園の高校野球はもはや、プロ野球選手として東京ドームでいくら稼げるかの人気投票、アマチア野球が既にプロデビーの前哨戦となっているのではないか…。高校野球を観戦する私達は、いつのまにかプロ野球のスカウトのような眼で観戦するようになってしまってはいないか?


詩人兼アマチア野球選手の平出隆氏は、「白球礼賛」(岩波新書)で、…ベスボールは…遊戯性とスポーツ性との両方を兼ね備えたゲーム…ところがこの遊戯性の発散しいてしてくれる喜びは、マスコミをとおして受けとるばかりの「観るスポーツ」となったプロ野球では、いま、ときとしてつよく抑えこまれる傾向にある…、と嘆いています。


アマチア野球の持つ≪遊戯性≫の喜びは、いつのまにかにアマチア野球から忘れ去られている…。これは、企業の抱える社会人野球にも同じことが言えます。企業宣伝のための野球チーム、企業イメージのためのバレーボールチーム、商品宣伝のためのマラソンランナー…。近頃妙に、スポーツの採算性や、チームの対費用効果ばかり問われ、アマチアスポーツの≪遊戯性≫が「経済性」に置き換えられている気がします。不況の波の中でこの傾向はますます拍車をかけています。スポーツが遊戯性の楽さを捨象して、商業ベースのスポーツだけが持てはやされ、スポーツが金融資本のモウケの対象になっている。これでよいのか…?