バリー・レヴィンソン 監督「ナチュラル」★映画のMIKATA⑨★映画をMITAKA・・・ | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。



流石埜魚水の阿呆船-ナチュラル


何せ、失業中なので、今朝から野球の観戦で興奮しています。嬉しいような哀しいような…。キューバとの熱戦に引き続き、今日のWBCの対戦試合は、日本とアメリカの準決勝戦で、ロサンゼルスのドジャースタジアムで行われた。アメリカを9-4で下し、決勝進出に進んだ。


日本は、先発の松坂がいきなりホームランを打たれ一点を先行されたのには、唖然とした。「おや・・・またか・・・」と、不吉な不安がよぎる。しかし、4回にチャンスが到来、侍ジャパンに女神が微笑んだ。アメリカの先発オズワルトから、代打の稲葉、小笠原が連打。相手守備の乱れに乗じて同点に追いつき、城島の犠牲フライで逆転勝ち越しに成功。さらに岩村、川崎、中島のタイムリーヒットが飛び出して、一挙に5点を奪う。9回まで一進一退、アメリカをリードして、とうとう突き放し勝ち越した。


日本が9対4でアメリカに逆転勝ちを収めた。松坂もよく力投した、イチローもf打った、川崎も打った。城島の犠牲フライもよく飛んだ。日本は24日に再び韓国と決勝戦を戦う。韓国とはこれまで2勝2敗、決勝が5度目の対戦となる。韓国との再三再四、最後(再五)の戦い…。ますます、明日のWBC決勝戦が楽しみになってきた。


選抜高校野球も始まり、WBCも熱戦だし、野球は、国内の政治の混迷をすっかり忘れさせてくれます…。北京オリンピックで中国はチベットの政治的混乱を糊塗することが出来た…。ワールドサッカーの熱狂に乗じて、刑務所から脱走して、造幣局でお札を印刷してしまうトリックだって成功してしまう。スポーツイペントの熱戦ににわれを忘れて狂喜乱舞する「観衆」は、誰なのだろうか? ともすると市民社会の不満の<ガス抜き>ともなっているのだろうか?


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さて、映画の『ワルキューレ』を見終わった後にあちこちを探し回っていたDVD、野球映画の名作『ナチュラル』が漸く見つかた。感動をもう一度観賞することができました。゛でも、バーナード・マラマッドの翻訳本「奇跡のルーキー」(早川書房)はとうとう書店ではみつかりませんでした。残念・・・ん!彼の『フィクサー(修理屋)』も読んでみたいな…!


僕のエンサイクロペディア、僕のグラマー秘書に似た知識の産みの母。困ったときの岩波新書…! ともあれ、市民社会にとって、野球というスポーツは何なのだろうか?「ベスボールの夢ーアメリカ人は何をはじめたのか」(内田隆三著)で、野球の歴史と起源を掘り起こしている。F・フィッジェラルドの小説「華麗なるギャッビー」の野球場面を引用して、…ベースボールはたんなるゲームを超えており、アメリカ人の信頼や、信仰や、夢を託された何か…があると書いています。


野球の聖地「クーパーズタウン」と、野球の振興に貢献した「スポルディング」をキーワードにして、ベースボールの発祥にふれている。

…古く懐かしいベースボールのイメージは小さな町の風景に溶け込んでおり、…ベースボールはスモールタウンとその時代によせる「都市人の郷愁」の媒体として人々の心をつかんでいる…ベースボールはスモールタウンの風物として神話化されるが、同時にスモールタウンを否応なく大都市や産業社会にむひらいていく力と結びついている。ベースーボールは「田園のアメリカ」という幻像に憑依するが、同時に大都市と産業主義を志向する社会化の形式をもっている。…


映画「ナチュラル」の主人公ロイ・ハブス(ロバート・レッドフォード)は、ネブラスカ州の長閑な草原で白球を追いかける牧歌的な少年時代から始まり、シカゴの大都市に列車で旅立つ。アメリカの都市化とベースボールの揺籃期と軌を一にする。1920年のシーズンにベーブ・ルースは、ニューヨークヤンキースで活躍する。1921年にピッツバーグでベースボールゲームのラジオ放送が始まる。


内田隆三教授いわく…。


…アメリカの少年は憲法とベースボールを習得することで一人前になっていくとも言われたが、そこでいうベースボールには二つの焦点があった。ひとつはチームプレーの精神であり、もうひとつは審判(アンパイアー)への服従である。…そこで求められているのは、むしろ組織化されたビジネスの世界が要求する生き方や人間の資質…むしろ組織のなかの人間のフォーマルな行動様式と符合している。…


1918年の春、草原でキャッチ・ボールをする父子の映像。ネブラスカ州の農村に、野球好きの少年がいた。彼の夢は、野球選手になる事であった。幼い頃より父のエドにより野球の指導を受けていた。



「アメリカ文学史」(第3巻、研究者)で、渡辺利雄教授は、ア-ビン・マリンの「Jews and American」を援用して、…ユダヤ人社会では父は「慈愛に満ちた教師」であり、息子はそれに応じて「従順な生徒」であるという。それは「神」を父として崇拝する宗教的な態度として基本的に共通しているおり、「父」は「神」のように「権威」と「保護」によって特徴付けられる…と説明しています。


樫の大木の下で父は突然亡くなりました。雷がその大木に落ちて、真っ二つに裂けて倒れた。死後、ロイはその樫の木を削って手製のバットを作り、稲妻マークを刻み込み、「ワンダーボーイ」と命名します。


B・マラマッドの多くの小説には、ユダヤ系作家独特の神秘的でマーベラスな神話が、埋め込まれています。善意が逆境と苦境に打つ勝つときに、神の啓示のような不思議と、偶然の一致と、驚異的な奇跡の神話が起きる。ストーリの中で「ワンダーボーイ」は数々の奇跡を起こす。


ロイ・ハブスは20歳になっ時、恋人アイリス(グレン・クロース)を残し、シカゴ・カブスの入団テストを受けに故郷を旅立つ。彼は夜行列車の中で、バッターのフォアーマー、スポーツ記者のマックス、黒いドレスに身を包んだ謎の女ハリエットと会う。スカウトのサムは、ロイの投げた球で3球3振にさせる、とフォアーマーと勝負を賭けた。ロイは見事に勝負に勝つ。


ところがロイは、途中の列車で出会っ女の発砲によって、銀の弾丸で撃たる。故郷にいる恋人アイリスを忘れて、行きずりの女に一瞬心を奪われたロイは、恰も疚しい心を抱いたロイが、邪悪なドラキュラのように止めを刺されるように…。再起不能の傷を負ったロイは、マウンドで投げることなく、半身不随のままベッドで養生する。ロイのプロへの夢は断たれてしまう。


それから16年後、弱小チームのニューヨーク・ナイツに、35歳になったロイが現れる。監督のポップ・フィッシャーは初め冷たく扱う。ナイツが連敗を重ねる中、ロイは、漸くバッターボックスに立つ。ロイのバットは見事にボールを捕らえ、白球は天空を高く舞い、強靭な打撃力のあまり糸は解れてバラバラになる。ドラマティックなロイの登場と、奇跡的な初ヒットによって一躍スタープレイヤーとなる。ロイの打席は、ホームランを連発、周囲を驚愕させる。


「ナイツは優勝しない」と、チーム敗退に株を賭けていたナイツのオーナーである判事が、ロイを買収して優勝を阻止しようと企む。試合に負けて欲しいと裏取引を申し出る判事。彼はスポーツ記者や魅惑的な女(キム・ベイシンガー)を利用し、ロイの青春の傷を暴こうとする。さらに悪いことに、銃撃された際の古傷がロイを蝕み始める・・・。


野球ドラマのクライマックスは…。ロイはアイリスと球場にいる少年が自分の息子と知る。ロイは古傷の痛みに耐え、最後に逆転サヨナラ3ランホームランを打って、ナイツを優勝へと導く。数日後、とある田舎の草原でキャッチボールをする親子の姿があった。ロイと、アイリスとの間に生まれた子供と、それを微笑みながら見つめるアイリスがいた。都会から故郷の農村に帰った彼等の姿があった。

この映画に 3人の少年が登場する。一人は、球団のバット・ボーイのサヴォイ。雷が落ちた木で手作りしたロイ愛用のバット「ワンダーボーイ」が折れたときに、サヴォイから、「サヴォイ・スペシャル」と刻印されたバットが渡される。もう一人は、優勝戦の最後にマウンドに立った新人投手。ネブラスカ州出身の新人左腕投手がいた。映画の初め、20歳のロイ・ハブスが大打者フォアーマーを三球三振に打ち取ったエピソードがあった。その対戦場面を目撃して、ロイを慕うように接近した一人の少年がいた。汽車に乗る間際のロイスは少年にボールを渡す。あの少年が今また投手として成長して、運命の出逢いか、ロイの前のマウンドに登場する。もう一人はアイリスの息子。


私たち都市生活者は、野球に何を求めているのか?少なくても今日、スポルディングが野球の原像として賛美しているベースボールの姿、…誠実で、賢く、そして懸命・果敢に働くアメリカ人の力強い姿…ではなく、でも、都市のホワイトカラーでもなく、時代は変り、スポーツのイメージも変容してしまったのではないだろうか。ヨーロッパは依然、野球は紳士的でポピラーなスポーツになってない。今スポーツとしての野球は、、アジアや後進工業国の新しい国民的スポーツとなり、ベースボールは民族とナショナリズムの烈しい衝突のゲームなのかも知れない…。


ラストシーンの父子の再会、故郷での新しい家族の絆。信頼と慈愛と家族愛に充ちた父と子と母との家族の絆、特に父と息子の絆は、バーナード・マラマッドのユダヤ系作家独特の文学的テーマであり、未だに我々の共感を呼ぶ…。父は息子に対して厳格な精神と知識を慈しみ以って示し、息子は父に対して服従と感謝と畏敬を信頼を持って示す絆を…描いています。それが、ベースボールの田園的な原風景とダブります。