1995.1.17
今や
高校2年生ですら
実際に体験したことがない
阪神淡路大震災…
すでに日付は変わりましたが
これを鉄道の視点も加えてお話しします
なみくんは
その年に生まれました
5月24日
なみくんの誕生日です
この時
家の周りもやっと復興してきた頃でした
なみくんは
もともと兵庫県尼崎市に住んでました
周辺の直接の被害としては
阪急伊丹駅の高架橋の崩落
山陽新幹線門戸厄神付近の高架橋の崩落
JR六甲道駅の崩落
阪急岡本を中心とした盛り土の崩壊
このあたりが有名でしょうか
もっと他にもたくさんの被害がありました
いずれも
元なみくんの家から数十分ほどの距離
そして
その元なみくんの家も瓦などが壊れました
その影響もあってか
早々と老朽化してきたので
3年後
現在の姫路市の家に引っ越したのです
今
阪急伊丹駅などはきれいに復旧しました
しかし
今でも鉄道…
特に阪急、阪神には
その復旧の名残が見えます
阪急6050編成彼はその時
宝塚駅付近を走行中
強い揺れで脱線し一部を損壊
元の編成は組めず
今のような7000系との連結編成になりました
阪神8235編成彼はその時
御影駅に留置中
強い揺れで脱線…さらに転覆
神戸方2両を失いました
その2両は別に製造し直し
阪神8000系としては一番最後に復旧
現在の編成を組んでいます
阪神9000系彼らは
震災後
車両が不足した阪神に急遽作られた車両
その際には川崎重工の
関東の別の車両の製造ラインを使って作られました
そのため他の阪神には無い車体構造になりました
その関東の別の車両とはJR東日本の209系列
(画像は東京臨海高速鉄道70-000形)
JR東日本グループの大量製造のために生み出された技術が
関西の鉄道の復旧に役立ちました
今
着実に
その跡は消えつつあります
でも
忘れてはいけない
例え
実際に体験していなくとも
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