さて、先日歩いた今年最初の街道ウォークは「壬生街道」。
日光道中・小山宿のはずれ喜沢追分から2時間超歩いて到着した「壬生宿」。
電線地中化ですっきりとした街道沿いには「蘭学」の幟。
この通りは「蘭学通り」と呼ばれ、かつて蘭学(西洋学)の学者を多く輩出し、
壬生藩の方針もあって蘭方医も多数開業、名医の街と呼ばれたとの事。
往時は本陣・脇本陣が各1軒、旅籠10軒、人口1,870人。
壬生宿を抜けると楡木追分・楡木宿へ向かってひたすら歩きます。
所々に、そして徐々に数を増やす杉並木。
日光街道や日光例幣使街道のような連続性はないものの、立派な切り株。
さらに遠くに見えていた日光連山がずいぶん近くに迫ってきました。
それに連れて強くなる二荒颪(日光颪)、、、あ~寒い、寒い。
そして田園地帯の中に突如として現れた前方後円墳「判官塚古墳」(↑)、
ひと目でそれと分かる、わかりやすさ。
そのすぐ先には「北赤塚一里塚」、残念ながら東側の一里塚は消滅していましたが、
西側の一基だけでも十分な存在感。足元には馬頭観音。
ここから先は杉並木の密度が濃くなり、東北自動車道をアンダーパスすると、
間もなく楡木追分碑、判読が難しいですが『右 中仙道、左 江戸道』。
これで日光街道・小山宿と日光例幣使街道・楡木宿を結ぶことができました。
寒さが堪えた実測距離26km、4時間半の街道旅。
帰りは東武日光線・楡木駅から1時間に1本のローカル線の旅・・・