暦は9月、今日は午後からも雨予報もあり、暑さも落ち着いてもう大丈夫かな?
そんな気持ちで中山道・倉賀野宿へ。
JR倉賀野駅前を直進すると、懐かしい中山道の風景が待っていました。
倉賀野宿の本陣跡碑、うだつの上げた旧家、蔵を持つ黒塀の旧家。
その先、下町交差点が『日光例幣使街道』の追分。
「従是 右 江戸道 左 日光道」、横には1814年建立の常夜灯。
ここからいよいよ117km先の日光街道 今市宿を目指します。
ちなみに『日光例幣使街道』とは、毎年4月1日に京都を発ち、
日光東照宮に幣帛を奉献するための勅使(例幣使)が通った道。
中山道・倉賀野宿から日光街道・今市宿を結ぶ117km。
(日光壬生街道追分までの89kmとも)
さて、倉賀野分岐の先は歩道が有ったり無かったりの狭い道。
JR線の踏切を超え関越自動車道を越えるまで単調な街道歩きが続きます。
そして日光例幣使街道の最初の宿が「玉村宿」。
立派な街道を案内する看板、その向かいの少し奥まった所に木島本陣跡。
再び街道に戻り利根川の西岸、「五科宿」。
ここには街道唯一の関所もあったとのこと。
それにしても朝の曇り空が一変して強い陽射しが容赦ない・・・
利根川を渡る五科橋、、、これはしんどかった。
橋を渡った先の「柴宿」では街路樹脇のベンチでこの日最初の休憩。
塩飴とスポドリ、麦茶、とにかく水分補給と塩分補給。木陰が最高!
そしてこのあと、痛恨のルートミス。曲がる交差点が分らなかった・・・
それでも再び街道に戻り、日陰を探しながらの辛い街道歩き。
途中で旧道の案内が出てきたので右折、すると「右赤城」の看板。
この道中で唯一、赤城山が右に見えるポイント。
そう言えば東海道にも「左富士」ってのがありました。同じセンスです。
スタートから約4時間、「境宿」到着。
通りにあったスーパーで2L目の水を買い、店外のベンチで再びの休憩。
尋常じゃない暑さ故、今日はここまでにしようと思い、
東武・境町駅発の電車を調べるとなんと1時間に1本、、、次は1時間後。
やられました。。。
仕方なく次の駅、世良田駅まで街道を進むことに。
そしてスタートから4時間50分、26kmを歩いて日光例幣使街道の初日終了。
今年は特に暑い夏、9月になっても暑い暑い。
もう少し涼しくなってから再開したいと思います。
街道歩きのあと、東武電車に乗った世良田駅、
ホームのベンチに座り前を見ると、「徳川氏発祥の地」の碑。
と言うわけで、徳川家康公の「わが遠祖は上野國新田の一族徳川氏である」とは、
まさにこの辺りの事だったようです。
こんな意外な発見、、、これがあるから街道歩きはやめられません。