今年の初め、4年がかりで「江戸五街道」を全て歩き終え、
達成感に浸りましたが、一方では「街道ロス」も経験・・・
目的が無くなった喪失感にも似た感情に少々滅入っていましたが、
年始早々の腱板手術とそれに続く入院・リハビリの日々にも忙殺され、
気付けばアッという間に新年度。
少しずつ状況も改善する中、久々に「街道ウォーク」へ行ってきました!
今回は江戸時代に徳川将軍家がに日光東照宮参拝に使用したと言われる、
『日光御成道』。
中山道・本郷追分から日光街道・幸手宿の手前の上高野追分までを含め、
今回は日本橋から幸手宿まで約50kmの街道旅、
これをのんびり2日間で歩く予定。
先週日曜日の朝6:20の日本橋、日本道路原標を確認の上、出発。
日本橋の麒麟は大あくび、三越の獅子はお座り、なんせ朝ですから~
神田明神にも参拝、しばらくは中山道を進み、
本郷三丁目交差点のかねやすビルの銘板、
「本郷も かねやすまでは 江戸の内」
と言うことで、江戸を離れ東大・赤門を過ぎ、本郷追分で中仙道と分岐、
あとは五宿を経て幸手宿へ向かいます。
本郷通りを進むと、やがて国史跡の「西ヶ原一里塚」。
中央分離帯に一里塚があり、目の前は警察署、横断歩道も無く要注意。
その先は王子駅前を経て赤羽駅西口方面へ。
途中の十条付近では大規模な道路拡幅工事が進捗中で、
なんと「富士塚」を移設・造成中。
現代に受け継がれる富士塚って、、、実に興味津々。
赤羽駅の先は日光御成道最初の宿「岩淵宿」。
一帯はたまに行く飲食店街に変貌していて今更の宿場町風情はほぼ無しですが、
宝幢院前には道標が現存。
「南 江戸道 東 日光岩槻道」
岩淵宿を出ると荒川を渡り「川口宿」へ。
岩淵宿と川口宿は元々荒川をはさんだ合宿であったとの事。
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒の宿。
この頃からだんだんと気温も上がり汗ばんできました。
ウインドシェルをザックに収納し、手袋も脱いで先を急ぎます。
少しだけ身軽になった気がしました・・・
国道122号(岩槻街道)進み、鳩ケ谷変電所前からは旧道を経由して、
「鳩ケ谷宿」
この界隈では案内図から道標までが良く整備されていましたが、
残念ながら「鳩ケ谷一里塚」は現存せず、標識のみ。
陽が高くなり暑さが堪える時間帯、旧道には歩道が無く気が抜けない。
外環道を抜け、JR武蔵野線を過ぎると「大門宿」。
大門神社の先には本陣表門。
そして東北道を西側へオーバーパスすると、このあと一気に北上。
「膝子の一里塚」を過ぎると「岩槻宿」はすぐ。
やがて東北道を東にアンダーパスすると整備された城下町・岩槻。
ここまで38km、6時間45分の街道歩きでした。
次回は岩槻宿を探索したのち、「幸手宿」までをのんびり進むことにします。