コロナ自粛の中はじめた「佐倉成田街道ウォーク」もいよいよ最終日。
先週は降雨のため「大和田宿」の先、志津駅で戦線離脱しましたが、
今日の天気予報、風が強くて気温も低いものの全く問題なしの晴れ!
一気に成田山まで行く気満々で前回の離脱地点の京成線・志津駅へ。
駅に着いたのが午前5:50、、、イレコミ過ぎ(笑)
早速、夜明け前のまだ真っ暗な道を進みます。
左手にはユーカリが丘のタワーマンション群を見る頃、
東の空が白んできました。
歩き始めて30分、印旛沼の南岸の小高い丘の上の住宅街、
そこから一気に下ると「臼井宿」。
踏切の先の交差点の一角には「道標」がまとめられていました。
その記述によると、
「当初、佐倉道と呼んでいた道が成田山への参拝客で賑わうようになり
名称が成田街道や成田道になった」とのこと。
「臼井宿」から次の「佐倉宿」へ向かう途中、真正面から陽が昇ってきました。
が、快晴の朝陽は眩しくて眩しくて、目を開けられないほど。
歩道の無い左側を歩くのは視認し難く危険なので右側を進むことに。
こうすれば対向するドライバーには見つけやすいはず。
やがて道路脇に濠、ここが「佐倉城址公園」。ちょっと寄り道。
入口近くに何故か「臼杵石仏」、、、本物ですかね?
本物だとするとわざわざ大分から運んだんでしょうけれど、
ここに置いておくよりも本来あった場所に戻すべきではないかと・・・
城址公園を抜けて佐倉宿のメインストリートへ。
佐倉宿は譜代大名が代々支配した幕府の要衝。
街道沿いにも少しだけ江戸時代の風情、面影が残っていました。
「佐倉宿」を出ると次の「酒々井宿」まではすぐ。
ほぼ連続しているような感じですが、見所はあまりなし。
残念ながら「酒々井の一里塚」の場所も良く分かりませんでした。
「酒々井宿」の先は国道51号と付かず離れずの道に。
かつては立派な松並木が800m続いていたと言う「井篠の松並木」、
今では松喰虫の食害で全滅となっていました。
やがて街道はJR線の踏切を過ぎ、京成線を超えると間も無く成田駅前。
ここからは成田山新勝寺への表参道。
参道には「う」の芳ばしい香りがあちらこちらから漂ってきます。
新勝寺にご挨拶を済ませ、延べ4日間の佐倉成田街道の旅も終わり。
今日は約24km、4時間の街道歩きでした。
さて、コンプリートのご褒美は、せっかくの成田山、
「う」で締めるしかなさそうです(笑)
それにしても高止まりしている感のある、コロナ新規感染者数。
緊急事態宣言が解除になれば中断している「奥州街道」を再開したいのですが、
いったいどうなる?