今朝、バナナを食べた。




しっかり噛んで味わってみた。




しっかり味わい、味を楽しむ。




それはその食べ物の命を慈しむ行為。




自然と、

「イノチ、イノチ」

と心でつぶやきながら、

バナナを食べていたら、


バナナがどこかの地で生っている風景が、

ぼんやりと心に浮かんだ。




なんだか懐かしい気持ちになった。




そうしたらより一層、

バナナを愛おしく感じた。








日本語には、

読み方は同じだけど、

漢字が異なるものがある。




例えば〘たいせい〙。




体制、耐性、体勢、大成、大晴、大勢…




たくさん出てくる。




同音異字と言うらしい。




じゃあ〘いのち〙と読んで、

他に違う言葉はないのかな

と急に思い浮かんだ。




結果、

〘命〙または〘生命〙だった。




〘いのち〙はどこまで行っても、

尊い〘いのち〙のままだった。




これを調べてる時に、

たまたまひとつの曲を見つけた。




竹内まりやさんの『いのちの歌』。




私は見てなかったけど、

朝の連ドラ『だんだん』の

劇中歌だったらしい。





命と命が出会うこと。




それはAIをもっても

数学的確率で表すことはできない。




命と命が出会うことはものすごい奇跡。




今朝食べたバナナの命と私の命でさえも。




バナナに例えると

急にコミカルになってしまうけど、


私たちは命を食べて、

自分の命を繋いでいる。




いただいた命にも

生まれてからの歴史があって、


それも一緒に丸ごと

いただいていることを忘れてはいけない。




私の心に浮かんだ

バナナが生ってる地、

懐かしい気持ちは、

バナナが持っていた

記憶なのかもしれない。




食事をする時、

心から感謝をして

いただかなければいけない

と思った。




「いただきます」

「ごちそうさま」も、

ちゃんと手を合わせて

行わなければいけないのだと。




そして、

巡り会えた奇跡にも喜びながら。









 

 

 

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