
ひとつ前のブログでも触れたんだけど…
昨日の夜、
三脳バランス研究所の動画を観ていて、
内なる子どもに気がついた。
世の中ではそれを
インナーチャイルドと言うのだろう。
その子は1人でポツンとしていて、
こっちに気がついて欲しいけど、
気づかれないようにしていて、
でも声をあげなくても気づいて欲しい
というとても複雑な状態だった。
今大人の私は、
そんな内なる子どもの存在に気づいた。
そうしたら涙が流れた。
癒しを感じた瞬間だった。
ああ、ずっとそこにいたんだね
本当は気づいて欲しかったんだね
それにしても、
どうしてそんな内なる子どもが生まれたのだろう。
母親か?と思ったけど、
それだけじゃないとさっき気がついた。
いじめだ。
何度も何度もこのことには触れているので、
耳にタコの読者さんもいるかもしれないが、
小学校6年生の時にある日突然いじめにあった。
学校に行くと、
誰も口をきいてくれなくて、
私は存在してるのに、
透明人間のような状態だった。
私は自分を失った。
存在価値なんてものではなく、
存在そのものを失った。
声をかけてもスルーされる
それなら黙ってても同じだ
でも本当は
私はここにいると気づいて欲しい
声をあげられなくても
ここにいることに気づいて欲しい
そうして、
内なる子どもの私が
できあがったんだと思う。
今大人の私は、
内なる子どもの私に聞く。
何がして欲しい?
今大人の私なら、
何でもしてあげられると思うけど?
答えは返ってこない。
どうやら声を聞いて欲しいわけでもないようだ。
どうしたものか。
私は待った。
そうしたら出てきた。
存在を認めて欲しい
私は存在している
私は存在している
私が存在していることを認めて欲しい
そうしたらまた
今大人の私から涙が出てきた。
存在そのものを1度否定された人間は、
存在価値じゃなく、もはや物理的に、
存在そのものを認められたいんだ。
あなたはここにいる
あなたはここにいる
確かにここにいる
声をあげられないなら
声をあげなくてもいい
声をあげられなくても
ちゃんとそこにいることを
わかってるよ
いじめにあった時、
家では家族と話はしてたけど、
学校では誰とも話せなくなり、
私は言葉を失った。
話すという行為も失った。
だからそれ以後、今も、
話をする、話を聞いてもらう
というのがすごく苦手。
だから書いているのだと思う。
話をする、話を聞いてもらうという
形態が存在しないから楽なのだ。
とにもかくにも、
内なる子どもがして欲しいことがわかった。
そしてそれは、
今の私自身にも当てはまること。
私はここにいる
私はここにいる
確かにここにいる
私が私を認めてあげることが、
今何より大事なのだと。