今日はあやこちゃんの継続セッション3回目。








ワークをやった。




自分の好きなことやものを書き出して、

どんなところが好きかを書き出すワーク。




思わず涙するようなワークになった。




私が好きなことやものの共通点が同じ過ぎた。




私は色んな命の声を聞きたいし、

本当はずっと聞いてきている。




自分の命、人の命、動物の命、

物の命、自然の命、全部。




でも私は極端で、

自分の命に耳を傾ける方法が、

自分の命を傷つけ続けることだった。




そうしないと、とことんまで落ちないと、

自分の命の声が聞こえなかったし、

何が幸せなのかわからなかったんだと思う。




私はとにかく、すべての命が幸せであって欲しい。




健康の勉強をし続けてるのは、

まずは自分が健康で、幸せであって欲しいから。




健康のことを伝えてるのは、

大切な仲間が健康で、元気で、

幸せに生きて欲しいから。




四柱推命鑑定するのだって、

幸せに生きて欲しいから。




雪のない時期、

私はプランター菜園をしているけれど、

それも野菜の命を感じることができて、

ずっと北海道で暮らしてきたから、

常にたくさんの自然の命を感じてきた。








小学校と中学校、

こんな自然しかないところで暮らしてたのは、

必然であり、ある意味修行だったのかもしれない。




木と木の葉がこすれて、

ザワワザワワって音がするのが好き。




木々が話をしてるようで、

木たちの秘密の話を

聞かせてもらっているような気がしている。




私が学ぶことが好きなのも、

生きてる!って感じられるから。




こうやって文章を書くのも、

自分の言葉に命が宿った感じがして、

最近本を読んでると、

文字が踊っているように見える。




一見すると、

頭がおかしくなったような

ことばかり書いてるけど、

実はずっとこんな感じだった。




私には見えない存在が

ずっとリアルだった。




その始まりがたくさんの幽霊たち。




見えないものの命について

教えてくれた大先生たちだと思う。




怪談話だとみんな耳を貸してくれるし、

面白がってくれるけど、

木が喋ってるとか、文字が踊ってるとかなると、

途端に怪しい人になってしまう。




だから、あまりこういう話はしてこなかった。




でも今日のセッションで、

こういう話こそしたいことなんだってわかった。




私の好きなものの中に、

『赤毛のアン』と

新海誠監督のアニメがある。




アンは想像力豊かで、

鏡に映る自分にケティと名付け、

友達になった。




新海誠監督のアニメは、

現実的と非現実的が入り交じっていて、

でも多くの人に愛されていて、

私はそんな新海誠監督に嫉妬をしている。




これらはどちらも裏を返せば、

私もそうしたいという憧れの顕れ。




『赤毛のアン』の作者、

ルーシー・モード・モンゴメリと

新海誠監督が表現してもOKで、

私がしちゃいけないっていうのはおかしい。




この世には裏表があって、

肯定の声も否定の声もあるもの。




否定の声に恐れて、

自分を封じ込めるなんて、

体が健康でも心は不健康。




私は自分から聞こえてくる声を

ちゃんとキャッチして、

発信できるなら発信していきたい。




…と思い、

あやこちゃんのセッションの

報告シェアも兼ねて、

今このブログを書いてみた。




ちなみに今日は、

雪の声に耳を傾けてみた。




雪の声は聞こえたのか?




雪の声を聞く前に、

目の前に転がっていた

石ころに意識が奪われ、

こんなに小さい石ころさえも、

地球の欠片なんだな~と、

尊さを感じていた。






 

 

 

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