お賽銭用の100円玉を磨いていた。
磨きながら改めて100円玉を見て、
気付いたことがあった。
今回磨いていたものの中に、
昭和48年、昭和55年のものがあった。
昭和48年は私が生まれる前だし、
昭和55年は私が4歳の時のもの。
何十年という月日を流れ、
人から人の手へと渡り、
今私の手元にあるのが
とても不思議だった。
この100円玉に刻まれている
【記憶】が気になった。
昭和48年の100円玉は、
昭和48年のことを覚えていると思った。
昭和55年の100円玉は、
昭和55年のことを覚えていると思った。
そして、
今日までの時代の流れ、経済の流れも
知っているのだと思った。
100円玉は何も語ってはくれないけれど、
何だか説明のつかないものを100円から感じた。
まるで、
小さなタイムマシーンでも
手に入れたような気分。
それにしても、
古くなればなるほど汚れは落ちにくい。
でもどんなに古びていても汚れていても、
100円の価値には変わらない。
それって私たちも同じだと思った。
歳を取ってどんなに老いても、
人生にどんな傷があっても、
私という価値は
生まれた時からずっと
変わっていないのだと。
もしも、
歳を取った自分に価値がない…
と思っているのなら、
ぜひお財布から
古い硬化を取り出して見て欲しい。
それは古びているからと言って、
汚れているからと言って、
価値は変わるだろうか?
古びてるから、汚れてるからと言って、
100円玉が1円になったりはしない。
どんな姿でも、
100円玉は100円玉なんだ。
私たちに価値の単位は付けられない。
でも生まれた時、
とってもとっても大切な存在だったはず。
それなら歳を取っても、
人生にどんな傷があっても、
とってもとっても大切な存在であることには
今も変わりない。
ただ、
両親から縁切りされた私は、
本当に大切な存在だったのかわからない。
でもそれなら今から、
『私は大切な存在』
と自分にラベルを貼ったらいい。
何だったら、
『私は1億円』
と自分でわかりやすく
単位を付けてもいい。
単位は自由。
自分で難しかったら、
信頼できる人から
その言葉をもらって
貼ったらいい。
私はみんなからもらってた!
ラベルは
本当は生まれた時から付いているし、
人生にどんな傷があっても、
これから幾つになっても剥がれることはない。
古びても汚れても
100円玉の価値が変わらないように、
ラベルが古びても汚れても
私の価値までは変わらない。
そんなことを、
100円玉という先生から
学び得た。
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