40%引きのスイカ🍉を買って

気づいたことがあった。








40%引きでも300円ぐらいしたスイカ🍉




贅沢かな?と思った。




同じ値引きなら、スイカ1品よりも

色んなフルーツが入ってる方が体にいいかな

と悩んだ。




でも本当はスイカが

食べたい!!!!




そんな時に脳裏に父の声が聞こえた。




本当に欲しいのか?




父のこの言葉は

過去に言われた言葉だった。




20代の頃に一緒に出かけた時に、

これ欲しいなと思ったものがあった。




そうしたら、

父が買ってくれると言うのだ。




だけど父は、

本当に欲しいのか?

と念を押した。




恐らくだけど、父は、

私が欲しいと思ったものではなくて、

父がイメージする私が欲しいものを

買ってあげたかったのかもしれないと思った。




そうすると、

色んなことが俄然一致し始めた。




私は子どもの頃、

物をねだるということをしなかった。




誕生日でさえも、

あれが食べたい、これが欲しいも

自ら言う子どもではなかった。




そんな私に母は、

あんたは欲がない

と言った。




いや、そんなことはない。




今私は、自分が欲深いと思う。




きっと子どもの頃もそうだったはず。




でも言えなかった。




何故なら、私が欲しいものは、

両親が与えたいものではなかったから。




だから私は、

これが欲しいと言ったら両親が喜ぶもの

を探そうとしていたのかもしれない。




“いい子”もそうだ。




私は両親が求める

“いい子”になっていた。




うつ病になり、両親は、

いい子にならなくていい

と言った。




だけど、

私にとってのいい子じゃないと、

両親にとってのいい子じゃないは一致せず、

両親は自分たちにとっていい子じゃない私を

認めてはくれなかった。




この世に、

私と

両親が想像する私

2人の私がいたのだと思う。




でもこれって、

両親だけとは限らない。




会社の人や友達だって、

勝手にこの人はこういう人と決めつけて、

自分の想像と違うと幻滅する。




そういう時に出てくるのが、

そんな人だと思わなかった!!

だと思う。




でもさ、自分の人生だもの。




シンプルに“私”で生きていいんだよ。




“誰かの想像する私”になる必要はない。




喜びたいと思うなら、

誰かを喜ばす前に

自分を喜ばせないといけない。




人を喜ばせるのは

自分が喜んだ後だ。




私は自分が喜ぶものを選んだ。




健康を意識して、

色んなフルーツが入ってるものじゃなく、

自分が食べて喜ぶスイカ1品を選んで超満足!




普段なら

お腹がいっぱいになっても

全部食べちゃうところ、

半分でやめられた!




心から自分を満たすって、

こういうことなんだな~

と気づくことができたキラキラ




そして、

誰かの私になる必要もない

ということにも気づくことができたキラキラ




私は私のために生きているんだ




 

 

 

 

 

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