![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240610/09/sasorinokuni/68/46/j/o0640042715449695490.jpg?caw=800)
かんころラボのLIVEを聞いて
響いた言葉を言語化して気づいたことがあった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240610/05/sasorinokuni/46/47/p/o0864095615449644287.png?caw=800)
いいね❤って、
本当に「いい!!」と思ってする時と
惰性でしてしまう時がある。
なんか勝手に指が動いてたみたいな。
きっとそれって私だけじゃないはず。
そういうこともあるから、
付いた「いいね❤」を
深読みする必要はないんだ。
「いいね❤」をしてくれたあの人の指が
何故勝手に動いたのか
なんて考えてもわからないもの
それに、
「いい!」の加減なんて人それぞれ。
あの人は激しく「いいね❤」
だったかもしれないけど、
あの人はちょっとだけ「いいね❤」
だったかもしれない。
「いい!」だけじゃなく、
共感するとか、頑張れとか、
「いいね❤」には
色んな意味が込められている。
そんな何の「いいね❤」かわからないのに、
そこに自分の全価値をかけてしまうのは意味がない!
そして、
「いいね❤」に左右されるほど、
私たちは安い人間じゃない!
タップひとつの「いいね❤」ごときに
自分の価値を測られてはたまるものか!!
…と思ったんだ
「いいね❤」に一喜一憂してしまうのは仕方ない。
そういう世の中だから。
でもそこに全てをかけなくてもいいし、
自分に価値を付けられるのは
どこまでいっても自分だけ。
どうせ私なんて…
って思ってる人も本当は、
私はそんな安い人間じゃない!
って思ってるはず。
自分は安い人間じゃないって
わかってるから
「いいね❤」が少ないと
揺さぶられる
そんな時、同じ現実を見るなら、
「いいね❤」の数の現実より、
私はそんな安くない!と思っている現実に
目を向けた方が絶対いいと思う。
それって、
私には価値がある
ってちゃんと自分で
わかってる証だから