腹が立っていた。
満月だったのもあるかもしれないけど、
私はちゃんとやってるのに、
その結果が見合わなかった。
昨日仕事で、
契約書を読んで電話をかけた。
電話先の人は
うちにかけてもらっては困るみたいな感じで
すごくぶっきらぼうに、投げやりに、
〇〇に電話をかけてと言った。
でも契約書には、あなたに連絡を取れと書いてある。
私は契約書に書いてあることを
ちゃんとやっただけなのに、
雑に扱われて腹が立った。
恐らく、適当に、形だけで契約書を作ったのだろう。
〇〇に言われるがままに作ったのだろう。
離婚して再就職して思うのは、
世の中には本当に無責任な人が多いということ。
20代、公務員をしてた頃もそういう人はいたけれど、
その頃以上に多いような気がする。
それとも職種の違いだろうか。
ほんと嫌気が差す。
職場にはなんら不満はないのに、
仕事先の人にはむしょうに腹が立つことが多い。
やってられないって思う。
そんなわけで、
昨日はすごくイライラしてて、
ヤケ食いして、ノートに
クソ△△△!
ふざけんな!
と綴った
私は間違ったことはしていない!
私は私を信じた。
今朝、
更新されたばかりの姫乃宮亜美さんの
ブログのタイトルが気になった。
怒りそのものがあなたが伝えたいことなのではなくて、その下に何かを守っているのだと気づいてあげましょう。
(亜美さんのブログより引用)
怒りの下に守っていたもの。
私だ。
私は私を守りたかった。
会社の誰かに契約書を見せて、
私間違ったことしてないですよね?
と確認し、同意してもらって、共感を得て、
安心することは簡単だった。
でもそれは一時凌ぎだ。
それは共感して欲しいと欲と
私を認めて欲しいという欲を
満たすだけに過ぎない
そうやって誰かに共感してもらいたい、
認めてをもらいたいになると、
共感してもらうまで、認めてもらうまで
満足ができなくなり、
自分で仕事ができなくる。
大事なのは、
あなたはちゃんとやってるよ
と私が私を認めてあげること。
私はそんな雑に
仕事をするような人間ではない。
自分だけが良ければいいとも思わない。
仕事の先にいる人が困らないのがいい。
働く=傍を楽にするって
そういうことなんじゃないかと思う。
それは自己犠牲ではない。
きっと、私が楽に働けるよう
してくれてる人もいるはず。
そうやって思いやりはどこかで循環してる。
私は雑に扱われたことが悔しかった。
腹が立ったの裏には
悔しかったという思いもあった。
私という人間までも傷つけられたような気がした。
“ちゃんと”やってたから、
“ちゃんと”にこだわるけど、
“ちゃんと”やってる人を頭ごなしに
乱雑に扱っていいなんてことは有り得ない。
でもそっか。
そういう人だから、書類も雑だったんだな~。
そう思ったらなんか楽になった
【他人のふり見てわがふり直せ】
私はもっともっと丁寧を心がけよう。
その先にいる人が心地よいと思えるように。
怒りには【創造の熱】も入っている
という亜美さんの言葉に納得した。
昨日のイライラは今朝まで少し引きずってたけど、
こうやってブログにすることでやっと落ち着いた