「朝が来る」
 
 
 
この映画をたまたま見たのは、
2022年9月のことだった。
 
 

 

 

 

 

この映画を見た後、私は𝕏にこう綴っていた。

 
 

 

 

 

 

 

思うところは色々あったのに、

私は言語化することから、

自分の気持ちから逃げたのだと、

今回、原作を読んで思った。

 

 

 

原作を買ったのは映画を見てすぐだったから、

1年半放置してきたことになる。

 

 
 
 
 
 
 
読んだらダメだと思った。
 
 
 
その世界観に引きずられて
体調を崩すような気がした。
 
 
 
だけど、急に読もうという気になった。
 
 
 
読んでる途中からざわざわしてくる。
 
 
 
この作品の主人公は、
不妊治療しても子どもを授かれず、
特別養子縁組で子どもを授かった佐都子と、
中学生で出産をし、
子どもを手放したひかりの話。
 
 
 
色々と自分と重なる。
 
 
 
中絶ができる期間を過ぎてしまい、
産む選択肢しか残されていなかったひかりに、
「すごい」という気持ちが生まれた。
 
 
 
なぜなら、
私は29歳だったというのに
中絶をしてしまったから。
 
 
 
今でもその日付を覚えているし、
その日のことを覚えているし、
その日のお腹の痛み、心の痛みを覚えている。
 
 
 
だけど、
当時の私は全然子どもで、
シングルマザーになる覚悟はなかった。
 
 
 
手術の日は、友人が付き添ってくれた。
 
 
 
テレビの中にあるように、
麻酔であっという間に意識がなくなり、
目が覚めた時はお腹の痛みと、
「もうここにはいない」という心の痛みで
友人にすぐ側に来てもらった。
 
 
 
ある程度時間が経ってから、
体の痛みも心も落ち着き、
前日から何も食べてなかった私に友人は、
「何か食べたいものない?売店で買ってくるよ」
と言ってくれた。
 
 
 
「チーズ蒸しパン」
 
 
 
友人は驚いた。
 
 
 
「あゆ、チーズ蒸しパンなんて好きだったっけ?」
 
 
 
特別すごい好きだったというわけじゃないけど、
咄嗟に出てきた言葉に私も驚いた。
 
 
 
勝手な思い込みだけど、
もしかしたら子どもが好きだったのかもしれない
と思った。
 
 
 
私は子どもを失った。
 
 
 
でも実は、
この時付き添ってくれた友達も
自死で亡くしていて、
だからこの日のことをより忘れないように
無意識にしているのかもしれない。
 
 
 
そんな私は今度、不妊で悩むことになった。
 
 
 
一度妊娠をしてるから、
普通にできるものだと思っていた。
 
 
 
でもまさか、
子どもができづらい体質だなんて
思いもよらなかった。
 
 
 
29歳の時に妊娠をしたのは奇跡だったことになる。
 
 
 
結婚時、不妊治療をしていた。
 
 
 
だけど、一向にできなかった。
 
 
 
次第に体も心も疲れ、
徐々に治療からフェイドアウトした。
 
 
 
子どもを持たない人生を考えるのには
すごく時間はかかった。
 
 
 
だけど、
離婚して1人を謳歌するようになって、
元旦那との子どもはいなくてよかったんだと思った。
 
 
 
でもやっぱり、あの時諦めた子が今もいたらと思う。
 
 
 
もし生んでいれば今年18歳になっている。
 
 
 
私は罪悪感というか、
ずっと、罪だと思って生きている。
 
 
 
だからあまりこのことには触れないし、
あえて言うようなことでもないけれど、
この「朝が来る」という本を読んだら、
諦めたあの子のことを思い出して涙が流れてきて、
今この沸いてきた感情を、流した涙を
無かったものにしてはいけないと思って、
今回あえてブログに残すことにした。
 
 
 
それともうひとつ。
 
 
 
この作品を読んで胸の奥の方を突かれたのは、
「失敗」だった。
 
 
 
ひかりは両親にとって「失敗」だった。
 
 
 
私も、私の両親からすれば「失敗」だった。
 
 
 
ほんと体が弱くて、
その体の弱さを母から責められてはきたけれど、
そこそこ勉強ができて、
母が望む高校に入り、公務員になったことは、
両親にとって自慢だったと思う。
 
 
 
だけど、私はうつ病になった。
 
 
 
その責任は両親にだってある。
 
 
 
私だけのせいじゃない。
 
 
 
でも両親は自分たちのせいだとは疑わなかった。
 
 
 
「優秀な娘」から、
「失敗した娘」にラベルは貼り替えらた。
 
 
 
私は本当に廃人だった。



今も生きてることが不思議なくらい。
 
 
 
だから、またそれが起きたらと思って、
気を張って生きていることがある。
 
 
 
本当はいつでもぷつんと糸が切れていいほどなのを、
かなり我慢強く耐えている。
 
 
 
もうああはならない、なりたくない。
 
 
 
だけど、
作中でひかりが次々と堕ちていく、
そういう運命に逆らえない姿を見て、
私もいつかやっぱりまた落ちてしまうのでは…
と思うと、ざわざわし始めた。
 
 
 
でもこれも無かったものにしたくなかったから、
わざわざブログに残すことにした。
 
 
 
こうやって書いても、
すぐに消してしまうかもしれない。
 
 
 
だけど、
そういう経験も私の一部だって、
私がわかっておきたい。
 
 
 
辛い悲しい、罪なこともしたけれど、
ちゃんとここまで生きてきた証なのだと確認したい。
 
 
 
これはノートに書いて
済むような感情ではなかったので、
今日は頑張って書き続けてみた。



ブログだから書けないこともあれば、
ブログだから書けることもある。
 
 
 
本当は初めて映画を見た日から
気づいていたのかもしれない。
 
 
 
でもきっと封じたんだ。



自分の心を見たくなかった。
 
 
 
でもそれと向き合えるようになったのは、
この1年半で私が成長できたからなのだと思う。
 


 

 

 

 

 

 

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