今日は魚座新月。
新月の願い事を書かなくなったので、
〇〇の新月と意識することはなく、
あぁ、新月なのかと思う程度になった。
でも今日は無意識に、魚座のテーマ「浄化」を、
寝たまんまヨガ、退行瞑想でやっていた。
私は過去世に興味がない。
だから、「退行瞑想」も
生まれてから現在まででいいのだけど、
YouTubeで調べると過去世ばかり。
その中で唯一、生まれるちょっと前に
戻るものがあったのでやってみた。
地球に下りることになった私の周りには、
私を見送る人が何人かいた。
その中で、
私の右にいたおじいちゃん、
実の祖父ではないけれど、
その人と離れるのが嫌で、
私は行きたくないと駄々をこねた。
だけど、私は魂を磨くために、
生まれて経験を積まなければいけなかった。
それが私の使命だった。
おじいちゃんは言った。
大丈夫
離れていても近くにいる
そうして私は母のお腹の中に宿った。
世の中には、
世のため、人のために
生まれてきている人がいるけど、
私は誰かのためではなく、
自分のために生まれてきたのだ。
経験を積むが私の使命。
だから色んな経験しているんだ!
生死もそう。
明日死んでもおかしくない、
そうやって死の淵に立たないと、
生きることがわからなかったのかもしれない。
結婚・離婚も、
どっちもやってみたかったのかもしれない。
人生アップダウンが激しいのも納得。
下を知らなければ上がわからない。
こうやって、
色んな経験をした学びを土産話に、
おじいちゃんのところに帰るんだって思った。
そうやってわかったら、
色んな経験をしないとと思った。
もちろん、“嫌なこともある”を前提に。
嫌なことは嫌だけど、
いじめ、うつ病、死の淵を彷徨う、
両親からの勘当、離婚、
ここまで底辺を経験していたら、
ここから下はもう無いような気がする。
だから、
もう少し気楽に色んなことを経験してみよう。
どうせ快も不快も経験するのだから。
どちらも経験するために生まれてきたのだから。