ネタバレになっちゃうんだけど、
市子は無戸籍だった。
どうして無戸籍だったのか、
それは作品を見て欲しいんだけど、
戸籍があるのは当たり前だけど
当たり前とは限らない
って改めて思った。
普通に生まれて生きていれば戸籍がある。
私は離婚して、親の戸籍に戻らなかったので、
1人戸籍だけど、戸籍がある。
だけど、
さまざまな事情から無戸籍という人がいる。
市子もその1人。
無戸籍だとどうなる?
そもそも存在しないから、
行政的な手続きができない、
病院に行けない、学校に行けないなど、
様々な“できない”がある。
きっと、
そんな簡単に“できない”で済ませられるような
ことばかりではないと思う。
だけど、
戸籍があるのが当たり前に生きてるから、
戸籍がないのがどれほど大変なのか
想像がつかない。
戸籍があることの有り難さ
を改めて感じた。
その他に、
市子を見て辛いと感じたことは、
存在しているのに
存在していない辛さ
市子は、
「私は市子だ」と主張するけど、
市子と認めてもらえない。
命もある、体もある
でもそれだけじゃ
個として認めてもらえない
それってどうなの?と思った。
戸籍があるから
守られていることはたくさんあるけど、
戸籍の有無で存在しているかどうかが決まるって、
なんかおかしい。
だって、そこにいるのに。
戸籍制度がある国は、日本・中国・台湾だけだそう。
あぁでもそうか。
戸籍があるからそう簡単に戸籍交換ができない。
戸籍制度がある日本だって、
闇で戸籍交換が行われてるのだから、
海外はそういう事件が
日常茶飯事起こっていそうだ。
戸籍制度のおかげで私たちは守られている。
縛られてもいるけど…。
難しい~!
これもまた最近見た映画で、
「ある男」
という戸籍交換が発端となる話なんだけど、
偶然にも戸籍ものが続いたおかけで、
改めて戸籍のことを考えるきっかけになったし、
戸籍があって
不自由なく生きられていることは
当たり前じゃない
と改めて気づかされた。
そして、
戸籍というのは肩書きみたいなもので、
その人の魅力は
戸籍で語たられるものではない
ということにも改めて気づくきっかけになった。
「市子」も「ある男」も、
色々と深く考えるきっかけになるだけでなく、
ヒューマンサスペンスな感じで面白い。
そうゆうのが好きな方にはおすすめ。



