私が大鬱MAXだった頃、
どんなことを思っていたのか。



そんなことを聞かれた。



その答えを返す時に、
自分で気づいたことがあったので、
ブログに残しておこうと思う。



「私がいなくなっても誰も悲しんでくれない」



何度もブログに書いてきたが、
そう思うようになったきっかけは、
12歳の時にいじめにあったことだった。



この思いは、私の心にしっかりと根を張っていた。



どんなに取り除いても、根を取り切れない。



それは根の元となるものが取り除けていないから。



例えとしては、じゃがいもがわかりやすい。







どんなに根だけ取り除いても、
種いもが取り除かれなければ、根は張るばかり。



だけど…。



私は何を取り除けばいいのだろう?



いじめられたことは現実だから、
取り除くことはできない。




私がいなくなったら悲しむ人がたくさんいる




そう置き換えること?周りを信じること?




それで種いもを取り除けるの?




私にもわからない。




頭ではわかってる。




心でもわかってる。




あんたなんかいなくなってしまえ!

と思っている人は、

私の周りには少なくともいない。




だけど、いつまで経っても拭えないのは、

身体のメカニズム的なものなのだろう。




自分の意思とは別なのだ。




自分の力ではどうにもできないのだ。




苔みたいなもので、取り除いても、

手入れをしないとまたはびこってくる。








そのうち苔に覆われて、
私本体は見失われてしまう。



だから、心のお手入れを怠っちゃいけない。



ああ、そうか。



起こった出来事を取り除くのではなく、
お手入れ、ケア、修復が大事なんだ!



身体の傷と違って、
心の傷は自然治癒はできない。



こまめに薬を塗って、
包帯を取り替える必要がある。



それは死ぬまで必要になってくるだろう。



それだけの痛手を負ったんだ。



そんな自分を愛で、慰め、
それが何の罪となるだろう。



なんかすごく抽象的な内容になったけど、
書きながら私は腑に落ちた。



もしも心に傷を負っている人がいたら、
ぜひ心に欲しい。



身体の傷と違って
心の傷は自然治癒はできない

だから、こまめに薬を塗って
包帯を取り替える必要がある

その薬や包帯はきっと
あなたの心がホッと
あたたかくなるものだよ





 

 


 

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