【自信をもつ】【自分を過信する】
何が違うんだろう?
ある日ふと思った。
“過ぎる”ぐらい自信をもたないと、
自信なんてすぐに揺らいでしまう。
この時の“過ぎる”ぐらいの自信は
過信なのだろうか。
自信があるのに失敗することってある。
そういう時、恥ずかしい。
この世から消えてしまいたくなる。
自信過剰だったんじゃない?と思われるのも嫌だ。
自信をもつことは大事だけど、
自信がない方が平和のような錯覚になる。
【自信をもつ】【自分を過信する】
何が違うんだろう?
ある日、インスタと𝕏で聞いてみた。

みんなすごいなー
私には“自信”と“過信”について
言語化する力はない!!
だから聞いたんだけど
・自信は「信じてやることをやる」。
過信は「うぬぼれてやることを怠る」。
・自分の評価が本当の値から外れてる。
前者は少なく、後者は多く見積もり過ぎ。
・自信は自分を信じて他者の意見も聞き
入れる。
過信は自分を信じ過ぎ、自分が正しいと
思い込んで、人の意見は否定する。
私は小さく見積もり過ぎていると、
前の職場でよく言われていた。
言われることが多かったから、
おかげで幾分か、本当に少しだけど、
自分の仕事の仕方に自信をもつようになった。
身の丈以下で過信するぐらいなら、
それは過信とは言わないのかもしれない。
むしろ過小評価、
マイナスが0になったようなもの。
でも、
私が自信をもつことはダメみたいな
ニュアンスで母に言われたような気がする。
それはきっと、
自信を持って終わりになるから。
そこから成長しようとしないから
だとは思うんだけど。
結局人の評価で、
自信の度は変わってしまう。
失敗したら恥ずかしい、バカにされる
バカにされたことないのに…。
こういう感覚ってどうしてあるんだろう?
本能ではないような気がする。
今夢中になって見ているせいか、
「下剋上球児」のことを思い出した。
自信をもって試合に挑んでも、
負けたことを誰も笑ったりしない。
「言わんこっちゃない!!」となるのは、
自分を信じ過ぎて、どんな球でも打たれない、
どんな球でも捕れると手を抜くこと。
「ちゃんとやった方がいいよ」
と言われても耳を貸さない、そんな人なのだろう。
自信は自分で測らなきゃいけないけれど、
どこかやっぱり人の物差しが必要になってくる。
自分だけで測るのが本当に難しい。
この世には
自己肯定感を上げる本やセミナーが
溢れてるということは、
自信がない人が多いということ。
そして、自信を持ちたい人も多いということ。
だけど、自信のない人は減っていかない。
いつになったら、自信だけをもっていい
平和な世界を生きられるのだろう。
多分それは一生の課題で、
生きてる間に解決は難しくて、
そうやって考えながら生きていくことが、
人生に大事なのかもしれない。





