※このブログは、2020年6月9に書いたものをかんころ編集部・夢トレ塾に参加するために修正したものです。
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2020年6月5日金曜日。
出勤のために、いつもより10分ぐらい早く家を出た。
背負ったリュックはいつもよりとても軽かった。
いつもなら、お茶を入れた水筒持って行くが、その日は仕事の後に美容院に行くからと、荷物になるため用意をしなかった。
しかし、この行動は後に後悔のひとつとなる。
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家を出て、最寄りのバス停に到着すると、スマホを持っていないことに気がついた。
ジーンズのポケットにもスマホは入っていなかった。
リュックを開いて探してみるが、やはり入っていなかった。
「スマホ要るかな?要らないかな?」
「要らない」という選択肢もあったが、PayPayも使いたいし、美容院の待ち時間にも使いたい。
「スマホが要る」という結論を出し、スマホを取りに家に戻ることにした。
この後、「要らない」という選択をしなかったことも、後悔する。
この日は、ひとつひとつの選択の適切さが問われた1日だった。
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家に近づくと、ゴミステーションが溢れているのが気になった。
カラスはプラスチックゴミの日は興味がないようだが、もしも一度荒らすことに味をしめてしまったら大変なことになるだろう。
しかし、10分家を早く出たのに、十分な時間はなくなっていた。
「見なかったことにしよう」
ゴミステーションを見て見ぬふりをして家に入り、テーブルの上に忘れられたスマホを手に取って家を出た。
家を出ると、意識せずとも、ゴミステーションは目に入ってきた。
「やっぱり気になる!」
急いでゴミステーションを整頓した。
「ひとつ徳を積んだはずだ」、心の中でそう思った。
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しかし、そんな気持ち良さはすぐに吹っ飛んでしまった。
再びバス停に到着すると、バスがやってきた。
バスに乗り、暑くなって脱いで腕にかけていたシャツをリュックに入れようとリュックを下ろすと…
全開!
リュックの中には財布とエコバック、ハンカチタオルだけが入っていたが空っぽだった。
背筋が凍った。
バスはまだひと区間しか走ってなかった。
慌てて次のバス停で降り、これまでの道のりを走った。
「こんな距離、息切れもしないでこんなに走ったことあったかな」、慌てながらもどこか冷静にそんなことを考えていた。
バスに乗った停留所に走り着いた。
周りを見渡したが、財布はなかった。
バス停から家までも念入りに見て回った。
また再び家に入って探して見るも、無い。
落としたことは間違いないだろうに、落としたことを認めたくなかった。
既に拾われてしまったのだろうか。
「もしも、親切じゃない人に拾われてしまったら…」、人を疑う気持ちが生まれ、嫌な気分になった。
「交番に行こう!」
職場へ電話をし、事情を話して、交番へ向かった。
交番へ向かう途中、もう一度バス停までの道のりを丁寧に見て歩いた。
だけどやっぱり財布はなかった。
落としたことを認めざるをえなくなった。
「手抜きしないで水筒用意すれば良かったな。
重かったら気づいたかも。
や、10分も早く家を出なきゃ良かった。
余裕があったらスマホも忘れなかったかもしれない。
てか、スマホ必要だったかなー」
自分のした色んな選択を後悔し始めた。
交番へ到着し、手続きをしていると、ふとあることを思い出した。
財布の中に
家の鍵が入ってる!
落し物の多い私は、財布の中に家のマスターキーを入れていたのだ。
財布ごと落とすなんて思っても見なかった。
財布の中には免許証が入っている。鍵もある。
ということは?
ポクポクポク…
家に入れる!
財布を落とした焦りは恐怖に変わった。
交番での手続きは、30分ほどかかった。
しかし、その30分の間に、財布を届けられることはなかった。
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家に帰宅してすぐに、クレジットカードを止める電話をかけた。
財布の中には保険証も入れてあったので、役所にも電話をかけて手続きをした。
念のため、バス会社にも電話をかけて確認したが、財布は無かった。
鍵も落としたということは、鍵交換が必要だ。
でも、15時くらいまで手続きは待つことにした。
というのも、以前、ICカードを金曜日の夜に落とし、警察署から電話が来たのは月曜日の昼だったからだ。
落し物を管理している会計係は土日が休み。
今回は金曜日の朝だけど、タイムラグがあるかもしれない。
だけど、恐怖はどんどん募っていく。
「財布が見つかりました」、そんな電話がかかってくるのをただひたすら待った。
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それにしても、一体どこで財布を落としたのだろう。
財布を落としたら音がしそうなものだ。
初めに家を出た時、間違いなくリュックは閉まっていた。
閉めた記憶・感触が残っている。
次に開けたのはバスの中………
違うっ!!
初めにバス停に着いて、スマホが入ってないかリュックを開けた!
あの時、頭はスマホのことでいっぱいで、恐らくリュックを閉め忘れたまま背負って家まで走ったのかもしれない。
走っていれば、財布が落ちた音にも気がつかないだろう。
「スマホが必要だ」と選択した自分を恨んだ。
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昼が過ぎ、鍵を落とした恐怖に耐えきれず、大家さんに連絡を入れ、鍵交換を実費でする許可をもらった。
しかし、コロナの関係で時間がかかるとのこと。
いつ誰が家に入ってくるかわからない恐怖に、期限なく耐えなければいけないのかと思うと胸が鷲掴みされた感覚に陥った。
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金曜日が過ぎ、土曜日を迎えたが、財布は見つからなかった。
財布のことで頭がいっぱいで、折角の休みなのに、何もする気が起きなかった。
でも時間はたっぷり。
ついつい、「財布 落とした」とGoogle先生に聞いてしまい、「免許証が悪用されることも…」なんてページに辿り着き、慌てて書類作りを始めた。
ここで身分証明書を落とした時のアドバイス!
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土曜日が過ぎ、日曜日が終わろうとしても警察から電話は来なかった。
「会計係が休みだからだ」、そう思うことにした。
上記の手続きの準備を整え、月曜日の朝が来た。
出勤のために玄関の鍵をかけたが、それはもはや絶対的なものではない。
不安しかなかった。
職場に着くと事情を話し、いつ電話がきても出れるようにスマホを手元に置いて仕事をした。
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10時39分、電話が鳴った。
鍵交換の業者だった。
思ってた以上に早く鍵交換ができることになった。
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10時54分、再び電話が鳴った。
警察署!!
財布が届いていた。
途端に体も心も不安や恐怖から解放された。
仕事が終わると、すぐに、財布を受け取るために警察署へ向かった。
会計係で財布を渡され、中身を確認すると、全てが入っていた。
拾ってくれた人には感謝しかなかった。
「拾ってくれた人にお礼を…」
そう言おうと口を開こうとすると、「拾ったのは警察官なのでお礼は要りません」と…
お巡りさんが拾ってくれた奇跡に驚いた。
お巡りさんが拾ってくれたのに、連絡が来るまでに3日もかかったのは組織的に仕方ないのだろう。
でも、拾ってくれたお巡りさんには感謝だ。
そして、お巡りさんが拾ってくれたという運にも感謝した。
こうして、財布を落として見つかるまでの長い3日が終わったが、財布を落としたことで、気づきが沢山あった。
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【財布を落として失ったもの】
財布は無事に帰ってきた。
しかし、代償は大きい。
18,000円の出費!
鍵交換の費用を土曜日に支払っていたのだ。
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【財布落として得たもの】
その①「身分証明書と鍵は別々に保管すること」
その②「何気ない日常こそが幸せである」
特別なことがなくても、財布の中に少ないお金しか入ってなくても、「有る・在る」という日常こそ幸せであり、今あるものに感謝することが大切なんだと改めて実感。
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財布を落とした翌日6月6日は射手座の満月だった。
満月と言えば手放す大チャンス!
私は財布を手放してしまったが(笑)
財布を落としたことは不安だったし、恐怖だった。
だけど、「満月のせいか…」とどこか冷静な自分がいた。
そして、「これは私の人生に必要な通過点なんだ」とさえ思えていた。
実際、「財布を落とした」という通過点を通ったからこそ日常の有り難さに気づいた。
さらに、山羊座木星期の蠍座は、長年継続してきたものの見直すと金運がアップするらしく、財布の中身の見直しもできたし、鍵交換もまんざら意味のないことではないと感じられる。
この経験は何かに生きるし、誰かのためにもなるとも思えた。
不思議とどこか前向きだった。
破壊は創造へと繋がるという考え方も頭にあったからだ。
泥棒に入られてしまうかもという恐怖のドキドキと、自分がぶち上がってしまうかも(笑)というドキドキが交差していた。
とは言っても、やっぱり恐かったし、自信喪失もしていた。
私が存在していることが許せなくて仕方なかった。
「大家さんに迷惑をかけ、友達にも心配をかけ、みんな私と関わったがために…生まれてきてごめんなさい、生きていてごめんなさい」という状態になっていた。
そんな時でも思い出したのはかんちゃんの言葉。
財布を落とした≠命の価値
財布を落としたことで、命まで否定しなくていい。
3日間、財布を落としたことにより、色んな感情が生まれ、これまで学んだことを実践できた。
だからやっぱり、「財布を落とした」という現実は、私に必要な通過点だったのだと思う。