昨日のブログの続き。




ランチに中華を食べた後、








ぶらぶらとウィンドウショッピングをして、

到着した場所はここ。








高校の同級生が

ソロヴァイオリンを務める

コンサートを聞きに行った。








会場に着いた時、

私は体も心もボロボロだった。




歩き回った疲労。




屋内と屋外の気温差が大きく、

生理が1番多い日で、外は雨で不快感がひどく、




お気に入りの傘をどこかに置き忘れ、

苛立ちも沸いていた。




1番前は気恥しいので、

友達が見えそうな2列目に腰を下ろし、

ホッとしながら開演を待つも、

目の前に背丈の高い男性に座られ、

苛立ちゲージ度が上がる。




でも周りの人の動きが変わったおかげで、

私も席を移動し、

友達が見える席にに新たに腰を下ろした。




友達が出てきた。




感極まる。




最後に生の姿を見たのはコロナ前だった。




コンサートが始まると、

あの疲労や不快、苛立ちは吹き飛んだ。




音楽を楽しもう!

と聞くことに集中する。




でも視線は友達にあるから、

高校生の時どうだったとか思い出す。




音以外のことに集中してたと気づき、

また音に集中する。




すると今度は、

コンサート前の苛立ちがまた沸いてくる(笑)




また音以外のことに集中してたと気づき、

また音に集中する。




あの人のドレスが素敵だ!

私はどうしてこういうデザインが好きなのだろう?




まただ!(笑)




音以外のことに集中してたと気づいて、

また音に集中する。




今と、今の外側を行ったりきたり。




でもこれ、

自分は今ここにいる

自分は今ここにいない

がわかっているからいい。




ほとんどの人は、 

今ここにいながら今ここにいない状態に

飲み込まれてるはずだから。




人間は、

特に現代人はそういう傾向がある。




コンサートを聞きにきた人の中には

こんな人もいてもおかしくないだろう。




コンサートが終わった後はどこにご飯を食べに行こう

家に帰ったらあれをしなくっちゃ

そう言えば来週大事なプレゼンがあったなぁ

etc.




純粋に音楽を楽しめてる人は

少ないはずだ。




純粋に音楽を楽しめていても、

私のようにこんな人もいたかもしれない。




歌詞がない、

音だけで人を魅了したなんてすごいな~




それがこうやって

長い年月をかけて受け継がれているなんて

なんてすごいことだろう




昔はこうやって音だけが

親しまれていたんだな~




そうやって考えたら、

現代の曲で残るものなんてないかもしれない




私の思考の行ったきたりにも

ほどがある😆




でもこれが人間の思考らしい。




今ここに留まれない。




〘心ここに在らず〙というやつ。




そんな集中力散漫の私とは反して、

演奏者たちの素晴らしさたるや。




真実はわからないけど、

揺るがないピントした姿勢、

楽譜を見る集中力、

周りの空気を読む集中力。




本当の集中力

を見たような気がした。








終演後は、

友達と少し話すことができて、

まるで高校生にでも戻った状態に。




私の人生に由緒ある音楽があるのは

彼女のおかげだ。




本当に有難い。





 

 

 

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