久保田区内で2か所、集会所施設に関する問題が検討されています。
私が所属する分区もその一つです。
私の分区での集会場施設をめぐる議論は数年続いていますが、
ナカナカ新しい方向性を生み出すには至っていないのです。
協働のまちづくりに関して議会でガンガンやってきました。
これは条例制定以前からやってきたことです。
そして条例制定の前後も同様にやってきました。
協働のまちづくりの推進により、市政の場面転換を迫ってきました。
しかし現場に視点を移すと、様々な生の・生活の視点から事象を扱います。
問題の現れ方も市政で扱う角度と若干違う気がします。
問題は同じでも市が政策論的な扱い方と現場の生の声、
生活視点的扱い方には問題の現れ方に違いが出てくると感じるのです。
現れ方は違っても、本質的な所には違いはないのではないかと感じます。
だからこそ、この両者の違いに立脚して現れ方の違うことも含めて問題を正面から扱う段取りが必要なのです。
体験的な話で恐縮ですが、両社の違いに立脚して問題を扱うという手段や機会は今現在見えていないと感じています。
集会所施設の問題を例にしていますが、今後長く使用することが前提となる問題は若者だけでなく小中学生をも含んで議論を進めていくべきだと考えます。
ただ、この議論を進めるために今まで以上にすそ野を広げることや様々な準備はかなりの難作業となるでしょうが、ここに踏み込まねば新しい可能性は生まれてこないのではないかと考えています。
上手く整理していませんが、住民自治は大人だけで完結するものではないのです。
完結させてはならないのです。若者や子どもを含んで意思決定していく必要があるのです。
そのために、主権者教育がクローズアップされているのだと考えます。
多くの人たちをステークホルダーとするためには、
普遍的客観的にハナシを進められねばならないのです。
それは、特定の誰かの一言や談合で決まるのではない意思決定が必要です。
そのために政治が透明性を持たねばならないのです。
今日の久保田区の総会で今まで考えてきたことが深いところでつながってきた感じがあります。
これを整理して客観視に耐えるストリーを作りたいと思います。
(おわり)