先日、ミヤネ屋に次期大阪市長橋下氏が出演していた。
相変わらず過激な発言をしていた。
(私個人的には過激とは思っていないが…)
橋下氏が掲げる大阪都構想より手法に焦点が当たっている気がする。
ようするに、
「手法が過激すぎる」と。
番組の最後の方に評論家の大宅映子さんが
「あまり過激にやらないように」という趣旨の発言があった。
橋下氏の手法に反対する人と賛成する人の根本的な違いは
‘危機感’だろうと思う。
話し合いを続けて徐々に徐々に改革を進めることがベストだと思う。
しかし、改革の必要性が唱えられてから、どれだけ時間が過ぎてきたか?
また、それまで改革が十分に進んできたか?
財政的な問題だけでなく、様々な改革は不十分だと思っている。
穏健に改革を進めることが理想だが、改革が前進しない現実がある。
改革が中々進まない現実があるにも拘らず‘穏健に改革‘を唱える人は、
「人は10000年生きる」と言っているように聞こえる。
今の日本には時間をかけて改革を進める余裕はない。
限られた時間の中で、大きな改革を進めねばならない。
それであれば、どうするか?
この一つの答えが、橋下氏の手法に含まれていると感じる。
そして、これからは制度を運用する側の姿勢が問われる。
‘完璧な制度’はない。
制度をどのように運用するかによって結果は変わる。
運用する側は十分にな注意が必要だ。