繰り返しになりますが皆さんに考えてほしい重要なデータ | 暇つぶしの生活術

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生きている以上は何かしなくちゃ、こんな毎日です。いろんなこと興味はあるけれど、学があるわけじゃなしこんな話人に話せないし、電波の向こうに勝手に話してみようかと。

 私が一番重要と思うものをいくつか紹介します。これをどう解釈するかは何度も書いています。だからこれを見た人に考えてほしいという意味の投稿になります。

これは最初に来たホモサピエンスのルートの一部です。ほぼ同時に三つのルートから到来したというのが私見です。適切な図がないので取り敢えずこの図でよく考えてみましょう。誰が考えてもスンダランド人のルートです。C1a1に限れば、多分日本列島人とキーロー人の二つのルートがこの先に隠されています。後二つのルートは、レバント・アルタイ・朝鮮半島から来たC1a1、古インドシナから海岸を北上したD1a2が居ます。彼らは概4万年前頃到来したようです。

この図は実は下記する図の後の結果と考えています。

この図はフェイクですが一定の事実を含んでいます。18010とはこの地にO1b2が居たことを示しています。16680とは彼等が土器発明以前にここに居たことを主張しています。つまり嘘。14940は土器をこの地に運んだ人たちの移動を示しています。これはC1a1aだというのが私の説です。その結果が上図のC1a1の分布と言うことになります。

この図はD1a2a1aつまり後のアイヌ系の移民を示しています。彼等はチュクチからアムール樺太に移民したという分布図ですが、後に出て来るO1b2との交雑は無かったということですから、彼らはチュクチ方面に北上し、数千年後に南下して、アムール・樺太、さらに北海道に移動したとみています。彼等が北方系のmt-DNAを持つのはこのような移動の結果でしょう。

 

このグラフは既に削除されたと思われます。と言うのもこの図はO1b2の分布比率としか思えませんが、公式には東南アジアにはいないとされています。削除された47zと関連付けて考えるしかありません。

この図の凄いところは人々の移動が明確に記されていること。どう解釈するかは皆さん考えてください。私見は既に繰り返し書いています。

この図は超重要です。長江河口のデータは、4100年前までとなっています。このとき住民は入れ替わったということです。歴史の大転換がありました。これが弥生時代の入り口です。こんな明確な証拠があったなんて。

 

 因みにO1b2の到来を示すものは見つかりませんでした。しかし大きな証拠が見つかっています。大陸にはK10の痕跡がない。しかし日本には、O1b2a1a*が腐るほどいるという。彼等の故郷は日本列島だったのです。これ等の兄弟が中臣氏・百済氏・満州族です。彼等はそれぞれ大陸に渡って子孫を残し国を建てました。日本の神話そのままです。その意味では王朝はO1b2系だったのでしょう。そして天皇族に国譲りした。もっと遡れば、D1a2a1c・D1a2a2の連合王国があったのかもしれません。しかし戦争の痕跡もなく、国家は言い過ぎかな。北の縄文と言われる遺跡に住んで居た人たちに言及したものは聞いたことがありません。