先日、不登校のお子さんを持つお母さんから、
こんなメッセージをいただきました。
「うちの子は“自分勝手”なんです。やりたくないことはやらない。
不登校も、特にこれといって理由があるわけではなく、自分勝手だなぁと思うんです」
これね、特にコロナ禍以降、いろんなお母さんから聞く言葉なので、
今日はそのことについて書いてみようと思います。
やりたくなくてもやるのが当たり前
昭和生まれや平成初期生まれの親御さんは、
“嫌なことでも頑張るのが普通” という感覚を持っている方が少なくありません。
宿題とかでも、まずはやりたくないことから先にやっちゃいなさいと言われたり、
やりたくないなんて、ただの甘えだ!とか、
やりたくないことを克服しなければ、ろくな大人になれないとかね。
よく耳にしながら育ってきたんじゃないかなぁと思います。
だからこそ、自分の子どもが「行きたくない」「やりたくない」と言ったとき、
それが“自分勝手”に見えてしまうのも、とても自然なことだと感じます。
でもね、私は最近のお子さんたちを見ていて、
「自分勝手だ」と思うことはあまりなくて、
むしろ感じるのは、「自分本位」だなぁということなんですよね。
自分勝手と自分本位
自分勝手と自分本位って、似ているようでだいぶ違います。
自分勝手は“他人を犠牲にする行動”。
自分本位は“自分を大切にする行動”。
この違いは、見た目は似ていても、本質はまったく違います。
自分勝手とは、
誰かに迷惑をかけたり、負担を押しつけたりする行動のこと。
一方で、自分本位とは、
自分の内側の感覚に正直でいること。
誰かを傷つけたり、乱したりしているわけではなく、
学校に行きたくない日は行かないけれど、行きたいと思えた日は行けたり。
外に出たくない日はこもるけれど、出たいと思えばちゃんと出られたり。
これは“わがまま”というよりは、
その日、その日の自分の心と身体の声に耳を傾けて
自分に寄り添った選択ができる!ということのような
気がしているんですよね。
なぜ親には“自分勝手”に見えてしまうのか?
ここには、親御さん自身のこれまでの生き方が深く関係しています。
昭和や平成初期世代の親でも、ご自身にもそんな「自分本位」の過去があり
結果、それでもなんとかなってきた方の場合には、
子どもの「自分本位」にも寛容で、
やりたいようにやればいい!
子どものうちにそうしておいた方が、後々整ってくる!
と思えていたりします。
でも、親が「学校には行くべき」「嫌でもやるべき」という価値観を強く持っていると、
その基準に沿わない子どもの姿が “自由すぎる” ”我儘だ””自分勝手だ”と
思えてきます。
特に、
親がこれまで 自分本位でいることを許されず、周りに合わせて生きてきた場合には、
-
嫌でも頑張るものだ!
-
我慢するのが当たり前だ!
-
周囲の期待に応えるのが“いい子”“いい大人”だ!
そう思っていて、
それができなければ、社会の中で生きていかれない!という
呪いにかかっていたりするんですよね。
子は親の鏡
「やりたくないからやらない」を生きているお子さんの姿は、
そんな生き方があることを、親に見せてくれていることでもあります。
嫌なことを我慢して、
辛くても頑張って、
家族のため、会社のため、子どものために
力を入れて頑張っているあなたに、
嫌なこと、しなくて大丈夫だよ
もっと力抜いて生きようよ
自分の心や体を大切にしていいんだよ
と、見せてくれていることでもあるのかなぁと思います。
親自身が「自分本位で生きること」を思い出すためのヒント
をくれているような、そんなものかもしれません。
ずっと我慢してきた人は、
「やりたくない」「今日は無理」と言うことさえ、
自分に許していないことがあります。
だからこそ、子どもにも、それを許してあげられないんですよね。
でも、本当は——
親だって「できない日」があっていい
親だって「今日は休みたい」と言っていい
親だって「自分本位」で生きていい
子どもの“自分本位でいられる力”を見守ることは、
親自身が、自分の内側を大切にする練習にもつながっていきます。
自分勝手と自分本位の間に線を引いて、
もし、子どもの姿が「自分本位」だなぁと感じられたら、
それを尊重してみたり、
真似をしてみるのはいかがでしょう?
あたらしい世界が、見えてくるかもしれませんよ






