ササポンのブログ -4ページ目

ササポンのブログ

映画、音楽、アニメにドラマ
そしてサントラなブログ
ひとを観ていないものを観ます


以前にJJの
スタートレック・インツウダークネスの評を書いたときに
スタートレックとスターウォーズの新作を撮るなんて
大したものだよ・・と書いた。
もちろん、尊敬の意味を込めてだ

恐らくは、
スタートレックの成功によって
今回の起用となったと思うが
その作品をいま、見返してみると
実に、面白いことに気がつく

JJ版スタートレックの1作目は
前日談だ
若き日の、カークとスポックの話だ
要するにこれは、スターウォーズにおける
フャントム・・いや
ファントムメナスだ

ところが、ここになんと
JJはレナードニモイを出してきた
それも
スポック役で

どうやったのか?

タイムスリップさせて・・

笑ってしまう。

めちゃくちゃである

さらには
若き日のスポックと会話させてしまうのだ

なんでこんなめちゃくちゃをしたのか

それによって
熱狂的なスタートレックマニア、
トレッキーが喜ぶからだ

それでいながら
映画のストーリーは面白く
新しくカークやスポックを映じる若き役者も
十分に魅力的になっている

もしもだ
もし
JJが、スターウォーズの前日談、
ファントムメナスを撮ったとして
もし
若き日の、アナキン・スカイウォーカーの前に
ダースベイダーが現れるというストーリーが
スクリーンに現出したとしたら・・あんなに酷評されただろうか





JJの作り出す世界の大きな特徴は
物語のお約束事の
タガをいきなり、無理やり
外してしまう・・ということだ

サスペンス映画で
いきなり主人公が死んでしまう

現代社会にいきなり
恐竜が現れる

過去のアルカトラズの囚人が
全員、
現代に蘇る

とにかく
冒頭にいきなり物語のお約束をぶち壊す
驚いている客に
その理由を説明していると
またいきなりタガを外す。
そうなると
観客の中にある
物語を先読みしようという
こざかしい思考回路を切断してしまう

それは
当然のことながら
危険は伴う
長年の映画の歴史の中で作られた約束事を
ぶち壊すのだ

観客から一気に拒絶されるかもしれない

事実「アルカトラズ」というTVシリーズは
1シーズンで強制終了させられた

タガをはずしながら
物語は
破綻してはならない

スターウォーズとは
それ自体がひとつのジャンルだ
しかし
JJはそのタガをいきなりはずした

それが
オープニングの設定説明の1行目
「ルークが消えた」だ

そして
それを物語の核にすえた
本来
このスターウォーズの主役ともいうべき
ルークを消した

ただ登場人物の中では
その存在は大きく
物語の謎となっている

まるで
「ゴドーを待ちながら」だ
登場しない男を待つだけの話

そして
その男の登場をクライマックスに
持ってくる

実は
JJのこの手法は物語の約束事を
熟知してないと
できない
そこを
勘違いしているひとが
ただ物語を破壊すればいいと思っている




こう考えていくと
JJの起用は、
適任だったのかもしれない
彼ほど
現代において
ジャンル映画を新しく出来る監督も
いないのかもしれない

これで
スターウォーズは新しいサーガに突入できる
もう
古い世界観に囚われる必要はなくなった

この映画を悪く言ったり
まあ、いいんじゃない・・レベルで語っているひとは
わからないのかもしれないが
この映画が成し遂げたことは
物語世界の革命でもあるのだ

何十年もの歳月をかけて
作り上げ
硬直してしまった物語というものの
本質を変えないで
新しく見せる技を
見せたのだ


あまりにも
世間で語られすぎて
いまさら
何かを言うのも恥ずかしいがそんなことを言っていては
このブログが本格的な停止状態になってしまうので
なんとか
僕なりの見方で
今年最後で、最大の話題作を
書いてみたいと思います





それにしても
久しぶりのブログで文章が硬い

まず
僕なりの視点はジョン・ウィリアム
いわずと知れた
この作品、いや、このシリーズの全体の音楽を担当した
もはや、生きる伝説と化した偉人だ

奇しくも
日本では、ほぼ同時期公開となった
スピルバーグの「ブリッジ・オブ・スパイ」
久々に巨匠のスコアー二本立て、
こいつは楽しい・・と思いきや
このスピルバーグの新作のスコアーは、
トーマス・ニューマン!!
これは、
かなり衝撃だ
おいおい、いまさら
喧嘩かよ・・と
いや、きっと「スターウォーズ」と重なったんだよ・・
いやいや、
それなら、
絶対、ジョンはスピルバーグを優先するし
スピルバーグの力で
制作を遅らせてでも、
ジョンを待つに決まっている
それほど
スピルバーグの作品には、
ジョン・ウィリアムの音楽は
絶対なのだ

なら、なぜ?

align="center">


理由はシンプル
ジョンの体調が思わしくなかったから

理由は簡単だが
かなり不安だ

つまりは
あのスピルバーグの映画を断るほど
体調が悪いということなのか・・・
考えたくはない・・
余計な心配・・なんだろうと思う

ただ
もうひとつここからわかることがある
あまり
考えたくないことだからさらっと書いてしまう
スピルバーグ映画の次世代のスコアーは
トーマス・ニューマンが
受け継ぐということ

そういう意味でも
僕らのような
スピルバーグージョンのコンビが当たり前以前の当たり前だと
思っていた
オールドファンにとっては
「ブリッジ・オブ・スパイ」は
注目だ


さて、
今回の新作の監督は、
JJだ。
このブログでは、
映画監督としてよりも
TVドラマの製作者としての言及が多いJJ

この映画も、
そちらの視点から見ると結構、興味深いし
意外に
新鮮だ

以前にJJの前作「スタートレック インツウザダークネス」の
宇宙船のチェイスシーンで
お前、スターウォーズの新作の練習してるだろ、と書いたが
その突っ込みは正しかった

と、いうよりは
この新作はすべてそれである
つまりは
JJのいままでのキャリアは
まるで
スターウォーズを撮るためのものだったのだ

この映画、
あまりにも多くのことが背負わされている。
その中でも最も重い荷物は

新旧のファンの納得だ
これを裏切ったがゆえに
ファントムメナスは、
フャントムメザシになってしまった(にゃーー)
それは
旧作のキャストをだすだけで済む問題ではけしてない
新しいキャストに人気俳優を出すだけでいいわけがない

懐かしくありながら、新鮮でなくてはならない
そして
なによりも
映画として面白くなくてはならない
当たり前のことだが

そんなことが出来るのかJJ?

出来たのである

いやむしろ、完成した作品を見ると
恐らくJJにしか出来ないことだったのだ

他の誰にも
現役を、現場を離れ
作り手として死に体のルーカスには
絶対出来ないことだったのだ


まずは、
物語の核の部分を
女性が担う

これはもうJJの名を世に知らし召した
女子大生スパイアクション「エイリアス」や
「フリンジ」だ

心ならずも事件に巻き込まれるヒロインという構図も
完全に手の内だ

そして
ストーリー構成からいえば
ジャンル映画のお約束から入り
ありえない展開と謎で新鮮味を加えて
客を引っ張る構成は
もうJJが「LOST」で始めて
いまや、
ドラマ世界の潮流になっている構成だ

それらが
いにしえのスターウォーズ世界で
渾然となり
突っ走るさまは壮観でもある

その辺の細かい部分は次回のネタバレ編に譲るとして
とにかく
まいど言ってることですが
ヘンな意地と、ひねくれで見るつもりがない人は
そういう意味のない、
どうでもいい
心は捨てたほうがいいですよ

僕たちは何のために映画を見るのでしょうか?
楽しむためです
驚くためです
感動するためです

なら、
スターウォーズを映画館で見ないなんてのは
ありえません

楽しむため
驚くため
感動するため

映画館に行ってください



マークハミル


まず僕の世代、40代、50代の人間で
洋楽、特にロック好きは
オープニングは
絶対に、
鳥肌を立てながら笑います

ska-n-tasticさん、kazzpさん
ほんとに、これは僕たちの映画ですよ
OPにあの曲のあの部分を
あんな使い方をするなんて

きっと
劇中にも洒落た音楽の使い方が
されていると思いますが
その辺はおふたりに
お任せします




なんというか
もう
すべてが
完全な僕のような映画オタクの
血を騒がせるパーツで出来ている映画

もっと
細かく言えば
アクション、スパイ映画の要素

それを
現代のスピードで、
過不足なく羅列する

とにかく
その並べ方
つまり
構成に一切の無駄がない
もう
病的なほどに無駄がない

さらに
そこにあるスパイスがふりかけてあります

イギリスといえば
これしかないでしょう

そう
あまりにも悪趣味なブラックユーモア

特に
ラストのあるシーンは
完全に
「ドクター・ストレンジラブ」です

久しぶりに
劇場で
大笑いしてました
ひとりで

まあ
極爆なので誰にも聞こえなかったでしょうが




この映画
監督の「キックアス」のマシュー・ヴォーンが
明らかに意識した映画がある



マイケル・ケインの『国際諜報局』
007のアンチ的な立ち位置で
制作されたこの映画

徹底的に
007とは違う
労働階級のスパイ
下品な言葉使いと
やぼったい黒眼鏡

この辺の設定は、
キングスマンにおいては
主人公のエグジーにおいて生かされ
コリン・ファースとマイケル・ケイン扮する上司は
そんな彼を、
エリートスパイに育て上げる役柄だ

恐らくは
音楽や名前を含めて細かい引用やリスペクトに
満ちた映画であろうが
僕にはかなりの部分がわからないと思う

だから
その辺は、つわものどもの任せて
僕は物語のほうの感想に力点をおきたいと思います

ちなみに
この写真の方は誰でしょうか?
ヒントは
超有名な映画の新作が控えた
誰もがご存知のかたです
僕は映画を見ている間
気がつきませんでした・・
答えは、このブログの最初のポスターの左上に
こそっと書いてあります

さて
ここからは
ネタバレです



昔から
脚本を勉強する上でよく言われたことですが
どんなに悪党でも、
野良犬を拾って
かわいがる描写があれば
観客の同情を引ける

この映画において、
エグジーが唯一、他のスパイと違うのは
犬を殺せなかったこと
実際は
誰も殺さなかったわけだが
実際に引き金を引けなかったのは
エグジーだけ

これは
個性豊かな脇役に囲まれて
ともすれば
埋もれてしまいそうな
主人公の存在を
浮かび上がらせている

この手の映画は
話は大体、決まっている
特に
ジャンル映画は
物語の流れは、
わかる

スパイ映画において
悪党の野望は潰える。
なぜなら
悪党の野望は
制作時期に起こって欲しくないこと
大体は
大量虐殺だ

これが
実現して終わったら
なんの映画かと思う
未知への飛行じゃないんだから・・と

だからといって
最近は、何が起こるのかわからない
TVドラマの氾濫で
単純な筋書きでは
客は満足しない


そこでこの映画がやったのは
センスのいい悪ふざけだ



ラスト近くの、
頭ばっかんにかぶさるふざけた音楽

凶暴になった民衆の酒場の喧嘩な感じ

それらはもう見ていて楽しいから
観客は
拍手喝采する

頭が爆発するやつらは
悪党に選ばれた、金持ちなので
罪悪感はない
ただ痛快なだけだ


あの教会での殺戮ダンス。
悪ふざけもここまでくると
美しい

基本的に
映画の暴力は美しくて楽しい

創意と工夫で
どこまでも
なによりも楽しくなる。

映画における暴力は
無限の可能性を秘める

それは
MAD MAXでも
この映画でも
十二分にわからせてくれた



菊池成孔氏が、
こんなことを言っていた

「最近、すべての分野で90年代が正しいとされている」

最近のヒットCDも
まったくいつの時代のCDだと思うほど
90年、80年代だ
たしかにその時代を生きた人間にとっては
うれしいが
反面、これなら昔のCD聞けばいいじゃんと思うこともある

タランテーノ以降
コピー、リスペクト、懐古趣味は
許される表現になった

それらが
新しい衣によって新鮮に見えれば確かに
楽しい

ただ
80歳の、創始者のジョージミラーが出てくると
やはり
すべては吹き飛んでしまう感は否めない