398 「ライアンの娘」 発情よろめき妻 ムラムラが止まらない | ササポンのブログ

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この映画を見ながらずっと思っていた
「これはにっかつロマンポルノだな」
その思いは、
最後まで消えなかった

この思いを
この映画に対しての
巨匠の作った超有名な名作に対しての
悪口だと
恥辱だと思う人は
僕のブログの初心者だろう
僕は
にっかつロマンポルノの熱狂的な信者であり
最も尊敬、シナリオの師と仰いでいたのは
ロマンポルノを一番書いた
桂千穂氏だと何度も書いてきた

だから
この「ライアンの娘」を見ながら
うれしさのあまり書いたのだ
「これはにっかつロマンポルノだと」

夢見がちな少女ロージーは、
村で一番の、知的な男性教師、チャールズとの恋愛を望んでいた
このふたりの結婚に至るまでの過程が、
意外に短い。
全体に長い映画なのに、
このシチュエーションが短い

さらに
恐ろしいほどにわかりやすい
ロージーのチャールズに対する色目
チャールズが徐々にそれに欲情するさまが
本当にわかりやすい演技で
表現される。

もちろん
それを直接、セリフでなんていわない
表情としぐさと、
なにげない日常会話で、
あくまでも
さりげなく
でも
わかりやすく
簡潔に描く。

これを
下手な監督がやると
直接的なセリフで
日常ではありえないしぐさで
だらだらと
何度でも
描く。
もうお客は、
その気持ちわかってるよ
なのにまたセリフでやる
客はばかにしてんのかと思う
つまりは
それがいまの下手が作った日本映画

結婚式から新婚生活に
至る過程で
ロージーの人生に対する憧れが
すべて
幻想であったことが
わかる。

知的なチャールズが
ただの平凡で退屈な男だとわかる
その男との日常もやはり退屈
なにより最悪なのが
退屈な男は
性生活においても
なんの刺激をくれないのだ

そこに
危険な刺激に満ちた男がやってくる
イギリス軍将校、ランドドルフ

この将校と浮気に至る描写の
恐ろしいほどあっさりしている
さらに
わかりやすい

まるで
デビッドリーン監督が

こんなことにまるで興味がないと
言ってるようだ
しかしそれが違うことが明白だ

 
この映画は長い
3時間もある。
きっと難しい抽象的なシーンが
だらだらと続くと思っていた
きっと
大河な歴史が描かれるものと思っていた

でも
違っていた。
小さな町の
世界から見れば小さな出来事
なぜ
3時間なのか?

丹念なのだ
愚直なまでに丁寧に映画なのだ
言葉で言うのではなく
映画だから
映像で見せなくてはならない

イーストウッドは
自分の撮影がすべて予定通りで
予算内で撮ることを
ドンシーゲルなどの撮影哲学から
細かいことにこだわらないことといっていた
その反面教師として
リーン監督を上げ
「自分の望む天気を待って、撮影を何日も待つなんて
意味がない」と
言っている

どちらが好いとはいえないが
現実問題として
リーン監督は晩年、
なかなか映画は撮れなくなった

おそらく
イーストウッドなら
この映画を1時間30分で終わらせるだろう
まるで絵画のような村の風景など
作らないだろう
そして
現代はそのイーストウッドの時代だ

ただ
デビットリーンを時代遅れとはいいたくはない
なぜなら
僕は映画が好きだから

スピルバーグが
撮影中に彼の映画を見ている気持ちは
よくわかる

デビッドリーンの映画は
教科書なのだ

映像で感情を表すには
こう撮れといっているのだ
こうやれば
端的に、わかりやすく観客に伝わると
教えているのだ

いつのまにか
わかりやすく、丁寧が
退屈に見えてしまっている

わかっていないのに
わかったふりが
賢いことだと思われている

お願いだから
映像を仕事として作っている人は
デビットリーンの映画を
最低
100回は見て欲しい
そうすれば
わかると思う

映画が