
あんたはそこにいるのか?と彼はささやいた。
最後にあんたに会えるのか?
あんたには絞めてやれる首はあるのか?
心があるのか?
くそったれめ。
あんたには、魂があるのか?
おお、神よ、彼はつぶやいた
おお神よ。
コーマック・マッカーシー著 黒原敏行訳
「ザ・ロード」より
この映画のパッケージは
まるで
お堅い
アート映画のようですが、
実際は
かなりグロい、ホラーなテイストです。
ここからは
映画の具体的な内容に触れます。

元々
ジョン・ヒルコートというひと
アートなひとではない。
ミュージックビデオ出身
デビュー作の「亡霊の檻」はホラー、
次の「プロポジション」は、マカロニ風味のホラー
そんなオーストラリア映画の持つ
えげつなさと
元々
ホラーが持っている
ある種、哲学的な世界観が
とても理想的な形で融合させている。
この映画の基本的な構成は
ロメロの「ゾンビ」です。
最近、
リスペクトおよび
ぱくりが、頻発された
この古典的なホラー、
意外にも構成的に見ても
かなり広がりある
可能性のある
映画であったことが証明された。
「ゾンビ」は
基本的にロードムービーであることを
再認識させられたのが
「28日後」だった。
ゾンビから逃げるという
極限の中で
確認される人間として生きる意味
この映画で
ゾンビと化したのは
飢えた人間だ。別に原因不明の細菌に侵されなくても
飢えれば簡単に人間はゾンビと化し
人肉を食らうのだ。
この映画は
そんなゾンビ的な地獄の中で
父が、
子に
善い者として生きる術を
教えなくてはならない。
それはある意味、
人肉を食らうよりも、
自ら命を絶つよりも
辛いことではないだろうか?
もちろん
この手の映画の息抜きとしての
突然の
オアシス的な食糧豊富な場所の発見のシーンもある。
そこで繰り広げられる
飽食のシーンは
本当にほっとさせられる
少年はあまりのことに
最初は不安になる。
また暗い森で目覚めないかと・・。
そして
その大量の食糧が本物だと知ると
天のみんなに、
誰か特定の誰かではなく
みんなに感謝の言葉をささげる。
みなさん、この食べ物とかいろんなものとか、ありがとう
そして
お風呂に入って
散髪をする。
食べて、風呂に入って
寝る。
普通のこと
でも、
平和なこと
でも、
それらのシーンの後の
地獄をも
観客は
想像してしまう・・。
登場人物と同じように・・・。
どうせ平和は続かない。
平和になればなるほど
募る、あの感触は
本当に現実的である。
そう・・。
人間は、平和や平穏を素直に喜べない生き物なのだ。




