
最初は
映画評というよりは
個人的な思い・・という文章になりそうです。
まあ、元々
感動すればするほど
映画評が
個人的な感情論になってしまうのは
僕の癖なんですが・・。
まずは
泣きました。
観賞中、何度も何度も・・。
こんなのは
「河童のクウ~」以来です。
さらに
僕の泣くというのは
大体が、ポロリと涙を流すぐらいなのですが
今回は
号泣です。
ライムスター、宇多丸さん風に言えば
号泣メーーーン・・です。
とにかく
嗚咽を押さえるのに必死で
ひとりで観ていたら
うおうお、声をあげて泣いていたでしよう。
父親と息子が
荒廃した大地を歩いて
南に向かう。
原作はコーマック・マッカーシー
僕にとって
ツボな映画であることは
確かです。
ただ
同じ原作者でも
「すべての美しい馬」や
「ノーカントリー」は
泣かなかった。
原作ほど感動はしなかった。
よく出来た映画であるが
よく出来ているだけである。
ところが
この「ザ・ロード」は
原作をそのまま忠実に映画化されているが
そのパンチ力はあまりにも違いすぎた。
コーマック・マッカーシーの小説の
映画化の難しさは
また
書くと思うが
優れた小説ほどその映画化は
困難であり、
それはもう何百本の死屍累々たる名作小説の失敗した映画化が証明している。
これを読んでいるひとで
家庭を持ち
子供がいて
仕事が忙しくて
映画を観る暇もなく
ましてや
コンサートや舞台など
いつ観に行ったか
記憶にない・・というひともいるかもしれない。
子供の成績が悪く
帰りも遅い。
もしかしたら
いじめにも遭っているかもしれない。
でも
親子の会話はない。
夫婦の会話も最低限、おまけにセックスレス。
ボーナスもなし。
給料もがた減り。
そんなひとを幸せ・・という。
なぜなら
子供を産むことに
育てることに
意味があり素晴らしいことだと
思える
世界だから・・。
まだ・・。
映画の冒頭
奥さん役のシャーリーズ・セロンが
子供を産むことに絶望する。
こんな世界に
子供を送り出したくない・・。
絶望の果てに生まれた子供が
絶望の中で
育てられる。
日々、パパとママは
死ぬことを変え、
死ぬことのみが
唯一の幸せだと考える。
生活費がない・・・なんてレベルの絶望ではない。
もう
なにもないのだ・・・。
すべてが
滅んで終い
生きるということは
殺して食うということのみの世界なのだ。
人々は
食料と燃料、そして
靴を求めて歩き続ける。
足には
ボロボロの靴とビニール袋が
巻きつけられている。
親と子は
歩き続ける
ただ南に向かって・・。
観ている映画が
ある本数を超えると
映画の見方に、
尋常ではない歪みが生じる。
ストーリーなど
どうでもよく
キャラクターもどうでもいい。
出ている俳優も
監督も
どうでもよく
ただ
スクリーン映っている光景のみで
涙が出てしまう。
絶望の灰色の風景に
父と子が
手をつないで歩く。
空き家となった家のベッドに
白骨化した人間を観る息子に向かって
「そんなもの、見飽きだろ」と言わなくてはならない父。
いま、
この世界で生まれてくる子供の眼にも
美しいものだけが映るわけではないだろう。
それでも
美しいものはある。
おいしいものはある。
希望はある。
でも
この映画には
それらは一切ない。
そんな世界で
子供と歩き、生きる。
それだけで
僕は
もう号泣する。



